ザフトさんのブログだよ

自分自身と向き合うためにブログやってます。

早く自由になりたい

留学出発まであと4日です。

 

無事テストも終わり、バイトも昨日でとりあえず終わりになりました。

 

早くドイツに旅立ちたいです。最近、ブログの記事が暗いんですけど、今日も暗いです。

 

尾崎豊を毎日聴いている影響か、社会に対する疑問とか、今までおかしいと思いつつも封じ込めていた気持ちと向き合う日々が続いています。

 

結構しんどいです。でも、この抑圧された気持ちと向き合うのは、自分をもっと理解するのに重要なことだと思います。

 

昨日図書館で尾崎豊著『幻の少年』という本を借りました。そこで印象に残った言葉を並べていこうと思います。

 

俺は悪魔たちを嫌という程見てきたが、神を見たことは一度もない。

 

神と悪魔という対称的な存在。この世の中には悪魔のような人や社会や状況がたくさんあるけれど、神のような全てを救う存在は見たことないし、これからも現れないだろう。この言葉をみて、社会、世界ってそうなんだよなと共感しつつ、神のような救いが訪れることのないことに悲しみを感じます。

 

 

 人間は自分の事しか考えていないと責められ、社会のために何かをすればカッコをつけてと責められ、犠牲になった傷みは自分のせいだと責められる。

 とても矛盾している。

(中略)

 自分が理解出来ない事を人から無知よばわりされ、あらゆる事に理解を深めようとするが、そこに見えたのは、自分自身の無知さと愚かさだった。果たして人間はいかに生きるべきか。

 

私が最近になって傷ついてることが何なのか、うまく言葉に出来なかった。でも、この言葉をみて、そうなんだよそうなんだよって共感しました。

就活とか、バイトとか、大学とか、いろんなところで様々な人と会って。高校時代とは比べ物にならないほどいろんな経験をして。

でもその分、いろいろなことを知ってしまった。社会の矛盾、大人の世界の矛盾に傷ついた。

 

誤解され、人を傷つけ、傷つけられて傷みを知った小学校時代。

部活も、クラスも、先生もすべて敵に思えた中学時代。

自分を徹底的に誤魔化すことで安らぎを得た高校時代。

自由に近づいた分、今まで大人たちが隠していた矛盾した世界を知ってしまった今。大学時代。

 

いずれ皆、この矛盾した世界を知ることになる。子供のころから皆、それとなくこの矛盾に出くわした。でも向き合うことなく通り過ぎた。

 

今、私はこの矛盾と向き合って生きていかなくちゃならない。

 

生きることは辛い。

 

SNSでキラキラしてるあの子も、電車で隣に座った酒臭いおじさんも、おせっかいで過保護で、でも愛のある親も。みんないろんなものを抱えて生きているんだろうか。そう思ったら、なんだかみんなともに戦う同士に思えた。

 

こんなに矛盾して悲しい世界なら、もっと人は悲しみを表に出していいんじゃないか。

 

生きる意味とか、世の中の矛盾とか、いろいろな人と話したりしたいけど、こういう話題は「かたい」とか「重い」とか「面倒くさい」で終わってしまうよね。多分。

 

これから自分はどうやって生きていけばいいんだろう。答えが出ないのはなんとなく分かっているんだけどね。今は世の中に蔓延る「人は一人じゃない」とか「生きていれば良いことが必ずある」とか、そんな言葉が偽善に聞こえる。

 

すっごく自分が卑屈でたまらない。

 

逃げたい

最近、何もかもから逃げたいです。

そんなことばかり考えています。

 

4月から7月まで休みがありませんでした。月曜から土曜まで大学、日曜は一日中バイト。週に3回5限まで授業、早く帰れる日は18:00〜21:00までの1ヶ月短期バイト。レポートと課題に追われる日々。

 

おかしくなりました。ほんと。

 

些細なことでイライラする。頭がカーッとする。身の回りもプリント、教科書、図書館から借りた本、メモで散乱している。

 

ご飯も、お腹はいっぱいだけど、頭はまだ欲しがっている感じ。朝と夜に必ずアイス。お腹いっぱいだけど、甘いもの食べたくて詰め込む。爆食い。

 

課題も終わらないし、体力、精神も限界だからバイト休もうかと思うけどなかなか言えなかった。(結局今日休んだ)

 

いつも何かに追われている気がしてる。何をやっても終わりが見えない。何かに支配されてる気がする。私は何を恐れているんだろう。何が怖いんだろう。

 

バイトを休む連絡をした時も、電話を切ったときに涙が出た。休める安心なのか、恐怖からの開放なのか。

 

月曜日に授業サボってカウンセリングセンターに駆け込んだ。相談前から涙が止まらなかった。予約制だったけど、キャンセルが出て受けることができた。こういうときは運がいい。

 

カウンセラーさんに、「よく倒れなかったね、ここにいるのが奇跡だよ」って言われた。休んでくださいって言われた。

 

保健センターの精神衛生の相談にも通っている。2週間ごとに疲れが見え始める。ここでも涙が止まらなかった。頑張りすぎないでくださいといわれた。

 

自分でも頑張りすぎているのは分かっているし、無理してるのも分かるし、もう身体も心もノー!って言っているのに。散々自分の声を無視してボロボロになった経験もあるのに。身体に変化が出ているのもわかるのに。

 

どうして私は自分を追い詰めてしまうんだろう。

 

何かが怖い。他人からどう思われるかが怖い。休むことに対して、悪いことという意識が抜けない。

 

他人の目が怖い、自分でも休むことを躊躇してしまう、じゃあどうする?

 

きゅうに、何もかも自分の中から投げ出したくなるときがある。何もかも捨てて逃げ出したくなる。

 

私はリセット癖があるみたいで、人間関係を急に投げ出してしまう。何も言わずSNSをやめたり。あんなに親しく話せた友達に少し違うと思うことがあると、もう二度と遊ばないと思ったり。

 

気を遣いすぎて疲れているのかも。真面目に生きすぎて疲れているのかも。

 

昨日久しぶりにショッピングに行ったけど、つまらなかった。交通費しかお金を使ってない。お金がほしい。お金がないと充実しない。

 

学校とバイトでも嫌なことがあった。

 

学校では、ネイティヴの英語教師の授業が苦痛だった。せっかく英語を頑張ろうと思ったのに、威圧的で否定的な態度だから、みんなうつむいて何も言わない。何も言わないことに対して怒る。手汗が止まらないし、心臓もバクバクしてしまう。

 

バイト先では、信頼してたおばちゃんが急に厳しくなった。私だけではないけど、「察して」とか「いつもあたし達がこんだけ苦労してる」とか。入りたての若者大学生なんかには反抗しても無駄な気がする。無力だ。

 

大人の自分を守るためのずる賢こさとか、社会の理不尽さ、矛盾。この数ヶ月でいろいろ知ってしまった。疑問を持つ者ははみ出しものなのかな。

 

社会に出たらそういう人はいくらでもいるから仕方ない。そう言うけど、じゃあなんでそういう人には何も触れないで傷つく人間ばかり責められるのか。

 

それは甘えだと人は言うけど、甘えと依存の違い分かってるの。なんでも甘え甘え言う人が一番甘えって言葉に依存して問題を無視してるんじゃないの。

 

 

世の中の矛盾に傷つくんだ。純粋に生きれば生きるほど。なんでだろうね。まっすぐ生きたいけど。世の中はそんな純粋には生きていけないみたいだ。でも生きていかきゃいけないから。生きていたいと思うときもあるから、この矛盾を受け止めつつ、心の中燃えるメラメラしたものは忘れないでいたい。

どうして?

最近忙しすぎて、日々がすぐ過ぎ去っていきます。それが怖い。一週間前、一ヶ月前の記憶がなくて、自分は何をしてたんだろうって思います。

 

なんだかこの時期になると、自分の過去とか将来について考える時間が増えます。

 

小さい頃には分からなかった苦しみとか、生きてて良かったっていう喜びとか。

 

人はなんで生きてるんだろう。何をしたいんだろう。この人と出会ったのはなぜ?

 

なんで人は人を傷つけてしまう?傷つけた人も傷ついてる?

 

世界の辛い思いをしている人に、いったい何ができる?その前に自分の国の人で苦しんでいる人たちに何ができる?

 

なんで4年間で将来について決めなくちゃいけない?時間がなくない?

 

頑張りはどうしてむくわれない?

 

あの人はどうしてあんな事を言った?

 

自分は何をしたい?何を恐れている?何が必要?

 

考えだしたらとまらなくなっちゃいます。そういうときってありません?

 

こういうときってどうすればいいんですかね〜答えが出ないものがほとんどなんですけど。

 

たまにフッと考え始めて、なんだか孤独を感じて、尾崎豊の歌を聞いて寝る生活が続いています。

 

特に書くことがこれしかないんですけどね、、笑

不登校だった友達が教えてくれたこと

中学時代、不登校の友達がいました。

名前は「ゆいか」(仮名)で、「ゆい」って呼んでました。

 

ゆいとは小学校1、2年生の時に同じクラスで、苗字が一文字ちがいでした。

頻繁に遊んだわけではないけれど、ゆいの家に遊びにも行ったことはあります。

 

同じ中学に進んだゆいと私は偶然にも同じバレー部に入りました。

一緒に活動していたのですが、だんだん部活に来なくなり、ゆいは途中で辞めてしまいました。

 

そして、学校にも来なくなりました。

なぜ来なくなったのかは分かりません。

 

中学3年になった私は、はじめてゆいと同じクラスになりました。

はじめは学校に来ていたゆいですが、保健室登校をしたり、学校にすら来なかったりと不安定でした。

 

学校から家の帰り道の途中にゆいの家があるので、3日に1回、一週間に1回など、不定期で学校の手紙などをポストに届けました。担任の先生は私に、申し訳ないけど助かるといった顔をしていました。ゆいのお母さんにも感謝されました。

たまに面倒だと感じることもあったし、学校来いよ~と思っていました。

 

 

クラスでは運動会の練習が始まりました。ここで問題が起きました。わたしとゆいは応援団に立候補していました。しかし、ゆいは不登校気味。女子のムカデ競争の練習にも、ダンスの練習にも、応援団の練習もほとんど参加できていません。

 

同じチームの子や、応援団の子のなかでは学校に来ないゆいに対してマイナスの感情を抱く人も少なくありませんでした。ずるい、サボってる、楽してる。そんなことを言う人もいました。

 

私や他の子が、「学校来てね」というメールを送っても返信がないときもありました。行くと返事が来ても、翌日来たり来なかったり。周りはイライラしていました。

 

このままずっと休んだままだと、本番に来ても何もわからない状況で、ゆい自身困ると思ったのでメールを送りました。

 

このメールは、いつも送っていたメールとは違います。

 

けっこう長めで、しかも厳しめの口調で書きました。

ゆいがいなくて困っているし、急に本番だけ来ても何も知らないとゆい自身困るし、何もできないでしょ?それで周りの人に何か言われるのはいやでしょ?

多分こんな感じの内容だったと思います。

これが私の本音です。と最後に付け加えて送りました。

 

すると、ゆいから返事がきました。

私が学校に行かないのは~だから。という内容だったと思います。ほとんど覚えていないんですが。でもはっきりと覚えているのは、ゆいの返事の最後に、

これが私の本音ですと書いてありました。

 

私はびっくりしました。いつものゆいの返事の雰囲気とはちがかったからです。

 

翌日、友達にメールのことを言ったら、なんだか納得していないような顔をしていました。たぶん返事が気に食わなかったのかもしれません。

 

時は過ぎて卒業式。ゆいは卒業式に来ました。ついでにクラスの打ち上げにも来ました。すごく元気そうで、今まで空白だった学校生活を埋めるかのように、一部のクラスの人としゃべっていました。やはり一部の人からは、今まで学校に来なかったのに打ち上げは来るのかよ。といった雰囲気がありました。

 

ゆいが私に教えてくれたのは、本音で話すことの大切さだと思います。もし、あの日私が本音をメールに書かなければ、ゆいの本当の気持ちを知ることはできませんでした。今考えると、ゆいには本音で話す友達という存在が、今までいなかったのかもしれません。

 

不登校」と聞くと、どんなイメージを思い浮かべますか。家に引きこもっているとか、学校をさぼっている、弱い。そう思う人もいるかもしれません。実際、私の中学時代の友達は、いい印象をもっていませんでした。

 

ひとたび学校に来れば「なんだ来れるんじゃん」と思われる。

 

しかし、また学校に来なくなると「前は来れたのに何で今日は来ないんだ?サボりか?いいよな、こっちは嫌々学校に行ってるのに休めて」と思われる。

 

学校に行かず、休日にショッピングセンターで学校の友達と会うと「なんだ?学校は来ないくせに、遊びには行くのかよ。嫌なことから逃げられていいよな」と思われる。

 

勇気を出して学校に来ても、はじめはみんな周りに集まってきて「おはよー!」と声をかける。でもみんな他にも仲のいい子がいるから、そっちに行っちゃって結局一人になって学校に行きたくなくなる。

 

 

いま改めて考えてみると、不登校の子には「学校に来なよ!」って言うことよりも、学校以外にも別の世界があるんだよ。別の居場所があるんだよ。ってことを教えてあげることだが必要だと思う。

 

学校に行けなくなった原因は、人それぞれだと思うけど、居場所があることを認識しているだけでも、ずいぶんちがうんじゃないかな。

 

学校でも居場所を感じなくて、家でも「学校へ行け」と言われて、外に行けば学校をサボっていると思われるなんて、いったいどこに行けばいいの?

 

私は、学校に行くことがすべてじゃないと思うんです。不登校になった人たちって、人生の早い段階で、誰もが経験するような壁に早くぶち当たった人じゃないかって思います。

 

例えば、勉強がつまらなくて何で勉強をするのかが分からず不登校になってしまった人。「勉強はしなくちゃいけない」「そんな甘ったれたこと言うな!」と怒るんじゃなくて、どうして勉強しなければならないのか、なぜ学校で勉強するのかを考える時間があってもいいんじゃないでしょうか。

 

人間関係で傷つき、悩んで不登校になってしまった人に、「これからそういうことはいっぱいあるから頑張りなさい」「たかがそれくらいで」とかいう前に。なぜ傷ついたのか、何か誤解しているところはあるのか、どうやったら改善できるのか、自分には何が必要かを考える時間を。傷ついた心をケアする時間を。

 

私は学校に行き続けたけれど、行きたくないときもあった。でも行かないといけないものだから、そういうものだから、周りがみんな行くから。そんな理由で、自分で何も考えず行ってた。辛く傷つき、死にたいと思っても我慢した。受験に2度も落ちて人生に絶望した。生きる意味を問うた。受験で燃え尽きて、何をすればいいのか、何のために生きているのか、分からなくなった。

 

でも、大学生になって時間ができた。なぜ勉強するのか、なぜ学校へいくのか、真剣に考えた。今まで閉じ込めたままだった傷を治し始めた。自分の心と向き合い、他人にかけてあげるのと同じだけ思いやりをかけた。

 

特に中学、高校なんかは受験や勉強、部活に友人関係で精一杯で、なかなか自分で考える時間はない。教室という狭い狭い監獄に閉じ込められて、校則でしばり付け、違反していないか疑われながら生きている。

 

世界が狭すぎる。知っている世界が。生きている世界が。だからなにか大変なことや、傷つくこと、将来にかかわることで壁にぶち当たる。それだけでどうしていいか分からなくなる。絶望する。

 

大人になると、人生でいろんなことを経験するから多少のことでくじけなくなる。でもその多少のことは、子どもたちにとって、初めて経験した人間にとっては大きなことだ。だから絶望してしまった人がそばにいたら支えてあげる。味方であるということを伝えてあげる。居場所があることを伝えてあげなくちゃいけない。もうすでに様々なことを経験しているんだから。

 

わたしはゆいを支えてあげられたのだろうか。当時は周り目と自分のことで精一杯だった。もし、身近に不登校の友達、そうでなくても悩んでいる友達がいたら、少しでも力になりたいと思う。

 

私の好きな大人たち

突然なんですけど、本ってよく読みますか?私は最近まで読まない人でした。

小説も読まないので、好きな作家さんもいません。なんだかそれが悲しかったりもしました(笑)

 

でも、偶然本屋さんや図書館で見かけて読む本があります。

 

なんかビビッとくるんですよね。これだ!っていうのがあって。

 

最近のお気に入りは、「岡本太郎」さんと「やなせたかし」さんの本がすごく好きです。パワーをもらえます。背中を押されている感じがします。

 

ふと思ったんですが、この本良いな~と思う本や作者に共通点があったんです。

 

それが、「ずるくない大人」が書いているということ。もっと言えば「まだ子どもの心をもっている純粋な大人」が書いた本であるということです。

 

これは完全な個人の感想です(笑)

 

お気に入りの岡本太郎さんとか、やなせたかしさんの本を読んでいると、すごーく優しいんですよ。語りが。

 

それに、子どものときの純粋な心を忘れていない感じがします。

 

人生経験を積むにつれて、世の中の汚いところとかがいろいろ見えてきます。どうにもならないこともあります。子どものころ語ることのできた夢は、大人になったら「現実を見ろ」の一言で消えてしまいます。現実は厳しい。

 

そんな世界で暮らしていたら、だんだんと心も汚くなっていきそうになります。ズルしたりもします。自分だけ良ければいいと思います。自分のことでみんな精一杯です。

 

だからときに他人を、身近な人を傷つけてしまいます。そして自分も誰かに傷つけられます。不当な扱いを受けます。理不尽な目にあいます。

 

最近、こんな大人にはなりたくない!と思う人のことを思い出しました。過去に何人かいます。

 

権力の前ではペコペコする人。偉い人の前では順応なのに、私の前では威張る人。

先生とつくだけで偉いと勘違いしている人とか。

命令ばかりして、相手の気持ちを考えない人。押し付ける人。

 

もちろん社会にでれば我慢しなくちゃいけないこともある。「今たくさん経験しておくべきだよ」「それぐらいのことで」っていう人もいると思うけど、なんか違うと思うんだよな。

 

傷ついたりへこんだりすること自体は否定しなくてもいいと思うんだよね。その状態からどう立ち直るか、どうやって自分自身をケアしていくかを知らないだけだと思う。自分でその方法を勉強したり、人に手伝ってもらったりしながら自分を守ってあげればいいんじゃないかな。

 

岡本太郎さんもやなせたかしさんも、傷つく側の身になって言葉をかけてくれているように私は感じます。随分と助けてもらったな。

 

うまく言葉にするのは難しいんだけど、本を読むたびに、言葉に触れるたびに、私の中にいる純粋な子どもの心に語りかけてくれる感じ。守ってくれる感じ。

 

本以外にも、そういう大人に出会えたこともすごくありがたい。

 

私は、つらく苦しい経験をしても、心の中に子供みたいに純粋な気持ちをもっている人、感情を肯定できる人、相手の立場を考えられる人がすごく好き。本当に好き。

 

そういう人に支えられてきたから、自分も同じように人に接することを絶対に忘れないようにしていくんだ。

 

二十歳になりました

本日、二十歳になりました。やったー。

 

二十歳記念に、かねてから飲みたかったドイツビールを飲みました。まぁ味は苦いですよね。でも夢の一つがかないました。

 

最近全然更新してなかったので、近状報告を。

 

 

ドイツへ行くでござる。

短期の1ヵ月だけど、留学してきます。長期とすごく迷ったんだけど、日本語教師養成課程っていう資格の授業とか実習の時期を考えると、この時期しかなくて。

 

それに2017年はルター500周年の記念だし。ね。50万円もかかるよ。つらいね。

 

母親を説得するのが一番大変でした。

「あんたお金はどうするのよ?てっきりもう貯まったのかと思ったのに(イライラ)」

「あんた行って何したいわけ?」

 

(´;ω;`)ウゥゥ

 

泣いちゃいました。我慢してたんですけど、涙がとまらなくて。そうしたら、母親もちょっとびっくりしたのか優しくなりました。私がレポート3枚にまとめた資料も読み始めました。

 

そこからずっと泣きながら、別の今まで抱えてた悩みとかも打ち明けてみたりとかして。結果的に前借する形になったけど、オッケー出ました。

 

大学3年になるまでに返済しないと。。。。

 

楽しみです。私は語学力をあげるのはもちろん、文化も肌で感じたいです。そして自分の意見を発言する練習をどんどんしたいんですよね。

 

あとは夏休みはバイトと遊びで終わるのはもったいない気がして。わりと勉強好きなんで勉強したいです。

 

そして家からの脱出。

 

ずっと家にいて親の保護下に置かれてるとダメになる気がして。親がいると安心ですけど、でも自由にはなれません。自由になれると解放感あるけど、責任も自分でとらなきゃなりません。でもその責任の反対には大きな自由がある。魅力的です。

 

30日だけだけど、頑張ってきます^^

 

 

つぶやき

気の使いすぎ?遣いすぎ?

 

 

疲れた。なんだか。日本人特有のもの?
お互いに傷つかないように、相手を傷つけないように、遠回しに言ったりはっきりとは言わないで伝えることに。時には、自分を曲げてまで、ウソついてまで、自分の思いとは反対のことを言う。それでいて平気なフリをする。疲れる。はぁ。誰かのせいじゃなくて、自分で勝手に「相手はこう思うから」と考えてしまっていた。無意識に。お昼ごはんの約束とか、隣に誰が座るとか、連絡するべきかとか、めんどくさくなった。別に1人でもやっていけるけど、たまには友達と一緒にいたりもしたい。寂しくもなる。でも一緒にいすぎると、それはそれで窮屈だ。つかずはなれず、ふわふわしていたい。

いちいち友達はどうするかな?なんて考えずに、自分がやりたいなら、好きならそれでいいじゃないか。

やっぱり友達といると安心するし、楽しい。だけどいすぎるとしんどくなる。息苦しくなる。自分よりも相手主義になっちゃう。いざ一人になると自由に行動できる反面、たまに妙に寂しくなる。

4月になってから新しいクラス、新しい人との出会い、友達、知り合い、先生。

自分の居場所を探し続けてしまうのは、まだ芯のある自分自身を持っていないのかもしれない。