ザフトさんのブログだよ

自分自身と向き合うためにブログやってます。

どうして?

最近忙しすぎて、日々がすぐ過ぎ去っていきます。それが怖い。一週間前、一ヶ月前の記憶がなくて、自分は何をしてたんだろうって思います。

 

なんだかこの時期になると、自分の過去とか将来について考える時間が増えます。

 

小さい頃には分からなかった苦しみとか、生きてて良かったっていう喜びとか。

 

人はなんで生きてるんだろう。何をしたいんだろう。この人と出会ったのはなぜ?

 

なんで人は人を傷つけてしまう?傷つけた人も傷ついてる?

 

世界の辛い思いをしている人に、いったい何ができる?その前に自分の国の人で苦しんでいる人たちに何ができる?

 

なんで4年間で将来について決めなくちゃいけない?時間がなくない?

 

頑張りはどうしてむくわれない?

 

あの人はどうしてあんな事を言った?

 

自分は何をしたい?何を恐れている?何が必要?

 

考えだしたらとまらなくなっちゃいます。そういうときってありません?

 

こういうときってどうすればいいんですかね〜答えが出ないものがほとんどなんですけど。

 

たまにフッと考え始めて、なんだか孤独を感じて、尾崎豊の歌を聞いて寝る生活が続いています。

 

特に書くことがこれしかないんですけどね、、笑

不登校だった友達が教えてくれたこと

中学時代、不登校の友達がいました。

名前は「ゆいか」(仮名)で、「ゆい」って呼んでました。

 

ゆいとは小学校1、2年生の時に同じクラスで、苗字が一文字ちがいでした。

頻繁に遊んだわけではないけれど、ゆいの家に遊びにも行ったことはあります。

 

同じ中学に進んだゆいと私は偶然にも同じバレー部に入りました。

一緒に活動していたのですが、だんだん部活に来なくなり、ゆいは途中で辞めてしまいました。

 

そして、学校にも来なくなりました。

なぜ来なくなったのかは分かりません。

 

中学3年になった私は、はじめてゆいと同じクラスになりました。

はじめは学校に来ていたゆいですが、保健室登校をしたり、学校にすら来なかったりと不安定でした。

 

学校から家の帰り道の途中にゆいの家があるので、3日に1回、一週間に1回など、不定期で学校の手紙などをポストに届けました。担任の先生は私に、申し訳ないけど助かるといった顔をしていました。ゆいのお母さんにも感謝されました。

たまに面倒だと感じることもあったし、学校来いよ~と思っていました。

 

 

クラスでは運動会の練習が始まりました。ここで問題が起きました。わたしとゆいは応援団に立候補していました。しかし、ゆいは不登校気味。女子のムカデ競争の練習にも、ダンスの練習にも、応援団の練習もほとんど参加できていません。

 

同じチームの子や、応援団の子のなかでは学校に来ないゆいに対してマイナスの感情を抱く人も少なくありませんでした。ずるい、サボってる、楽してる。そんなことを言う人もいました。

 

私や他の子が、「学校来てね」というメールを送っても返信がないときもありました。行くと返事が来ても、翌日来たり来なかったり。周りはイライラしていました。

 

このままずっと休んだままだと、本番に来ても何もわからない状況で、ゆい自身困ると思ったのでメールを送りました。

 

このメールは、いつも送っていたメールとは違います。

 

けっこう長めで、しかも厳しめの口調で書きました。

ゆいがいなくて困っているし、急に本番だけ来ても何も知らないとゆい自身困るし、何もできないでしょ?それで周りの人に何か言われるのはいやでしょ?

多分こんな感じの内容だったと思います。

これが私の本音です。と最後に付け加えて送りました。

 

すると、ゆいから返事がきました。

私が学校に行かないのは~だから。という内容だったと思います。ほとんど覚えていないんですが。でもはっきりと覚えているのは、ゆいの返事の最後に、

これが私の本音ですと書いてありました。

 

私はびっくりしました。いつものゆいの返事の雰囲気とはちがかったからです。

 

翌日、友達にメールのことを言ったら、なんだか納得していないような顔をしていました。たぶん返事が気に食わなかったのかもしれません。

 

時は過ぎて卒業式。ゆいは卒業式に来ました。ついでにクラスの打ち上げにも来ました。すごく元気そうで、今まで空白だった学校生活を埋めるかのように、一部のクラスの人としゃべっていました。やはり一部の人からは、今まで学校に来なかったのに打ち上げは来るのかよ。といった雰囲気がありました。

 

ゆいが私に教えてくれたのは、本音で話すことの大切さだと思います。もし、あの日私が本音をメールに書かなければ、ゆいの本当の気持ちを知ることはできませんでした。今考えると、ゆいには本音で話す友達という存在が、今までいなかったのかもしれません。

 

不登校」と聞くと、どんなイメージを思い浮かべますか。家に引きこもっているとか、学校をさぼっている、弱い。そう思う人もいるかもしれません。実際、私の中学時代の友達は、いい印象をもっていませんでした。

 

ひとたび学校に来れば「なんだ来れるんじゃん」と思われる。

 

しかし、また学校に来なくなると「前は来れたのに何で今日は来ないんだ?サボりか?いいよな、こっちは嫌々学校に行ってるのに休めて」と思われる。

 

学校に行かず、休日にショッピングセンターで学校の友達と会うと「なんだ?学校は来ないくせに、遊びには行くのかよ。嫌なことから逃げられていいよな」と思われる。

 

勇気を出して学校に来ても、はじめはみんな周りに集まってきて「おはよー!」と声をかける。でもみんな他にも仲のいい子がいるから、そっちに行っちゃって結局一人になって学校に行きたくなくなる。

 

 

いま改めて考えてみると、不登校の子には「学校に来なよ!」って言うことよりも、学校以外にも別の世界があるんだよ。別の居場所があるんだよ。ってことを教えてあげることだが必要だと思う。

 

学校に行けなくなった原因は、人それぞれだと思うけど、居場所があることを認識しているだけでも、ずいぶんちがうんじゃないかな。

 

学校でも居場所を感じなくて、家でも「学校へ行け」と言われて、外に行けば学校をサボっていると思われるなんて、いったいどこに行けばいいの?

 

私は、学校に行くことがすべてじゃないと思うんです。不登校になった人たちって、人生の早い段階で、誰もが経験するような壁に早くぶち当たった人じゃないかって思います。

 

例えば、勉強がつまらなくて何で勉強をするのかが分からず不登校になってしまった人。「勉強はしなくちゃいけない」「そんな甘ったれたこと言うな!」と怒るんじゃなくて、どうして勉強しなければならないのか、なぜ学校で勉強するのかを考える時間があってもいいんじゃないでしょうか。

 

人間関係で傷つき、悩んで不登校になってしまった人に、「これからそういうことはいっぱいあるから頑張りなさい」「たかがそれくらいで」とかいう前に。なぜ傷ついたのか、何か誤解しているところはあるのか、どうやったら改善できるのか、自分には何が必要かを考える時間を。傷ついた心をケアする時間を。

 

私は学校に行き続けたけれど、行きたくないときもあった。でも行かないといけないものだから、そういうものだから、周りがみんな行くから。そんな理由で、自分で何も考えず行ってた。辛く傷つき、死にたいと思っても我慢した。受験に2度も落ちて人生に絶望した。生きる意味を問うた。受験で燃え尽きて、何をすればいいのか、何のために生きているのか、分からなくなった。

 

でも、大学生になって時間ができた。なぜ勉強するのか、なぜ学校へいくのか、真剣に考えた。今まで閉じ込めたままだった傷を治し始めた。自分の心と向き合い、他人にかけてあげるのと同じだけ思いやりをかけた。

 

特に中学、高校なんかは受験や勉強、部活に友人関係で精一杯で、なかなか自分で考える時間はない。教室という狭い狭い監獄に閉じ込められて、校則でしばり付け、違反していないか疑われながら生きている。

 

世界が狭すぎる。知っている世界が。生きている世界が。だからなにか大変なことや、傷つくこと、将来にかかわることで壁にぶち当たる。それだけでどうしていいか分からなくなる。絶望する。

 

大人になると、人生でいろんなことを経験するから多少のことでくじけなくなる。でもその多少のことは、子どもたちにとって、初めて経験した人間にとっては大きなことだ。だから絶望してしまった人がそばにいたら支えてあげる。味方であるということを伝えてあげる。居場所があることを伝えてあげなくちゃいけない。もうすでに様々なことを経験しているんだから。

 

わたしはゆいを支えてあげられたのだろうか。当時は周り目と自分のことで精一杯だった。もし、身近に不登校の友達、そうでなくても悩んでいる友達がいたら、少しでも力になりたいと思う。

 

私の好きな大人たち

突然なんですけど、本ってよく読みますか?私は最近まで読まない人でした。

小説も読まないので、好きな作家さんもいません。なんだかそれが悲しかったりもしました(笑)

 

でも、偶然本屋さんや図書館で見かけて読む本があります。

 

なんかビビッとくるんですよね。これだ!っていうのがあって。

 

最近のお気に入りは、「岡本太郎」さんと「やなせたかし」さんの本がすごく好きです。パワーをもらえます。背中を押されている感じがします。

 

ふと思ったんですが、この本良いな~と思う本や作者に共通点があったんです。

 

それが、「ずるくない大人」が書いているということ。もっと言えば「まだ子どもの心をもっている純粋な大人」が書いた本であるということです。

 

これは完全な個人の感想です(笑)

 

お気に入りの岡本太郎さんとか、やなせたかしさんの本を読んでいると、すごーく優しいんですよ。語りが。

 

それに、子どものときの純粋な心を忘れていない感じがします。

 

人生経験を積むにつれて、世の中の汚いところとかがいろいろ見えてきます。どうにもならないこともあります。子どものころ語ることのできた夢は、大人になったら「現実を見ろ」の一言で消えてしまいます。現実は厳しい。

 

そんな世界で暮らしていたら、だんだんと心も汚くなっていきそうになります。ズルしたりもします。自分だけ良ければいいと思います。自分のことでみんな精一杯です。

 

だからときに他人を、身近な人を傷つけてしまいます。そして自分も誰かに傷つけられます。不当な扱いを受けます。理不尽な目にあいます。

 

最近、こんな大人にはなりたくない!と思う人のことを思い出しました。過去に何人かいます。

 

権力の前ではペコペコする人。偉い人の前では順応なのに、私の前では威張る人。

先生とつくだけで偉いと勘違いしている人とか。

命令ばかりして、相手の気持ちを考えない人。押し付ける人。

 

もちろん社会にでれば我慢しなくちゃいけないこともある。「今たくさん経験しておくべきだよ」「それぐらいのことで」っていう人もいると思うけど、なんか違うと思うんだよな。

 

傷ついたりへこんだりすること自体は否定しなくてもいいと思うんだよね。その状態からどう立ち直るか、どうやって自分自身をケアしていくかを知らないだけだと思う。自分でその方法を勉強したり、人に手伝ってもらったりしながら自分を守ってあげればいいんじゃないかな。

 

岡本太郎さんもやなせたかしさんも、傷つく側の身になって言葉をかけてくれているように私は感じます。随分と助けてもらったな。

 

うまく言葉にするのは難しいんだけど、本を読むたびに、言葉に触れるたびに、私の中にいる純粋な子どもの心に語りかけてくれる感じ。守ってくれる感じ。

 

本以外にも、そういう大人に出会えたこともすごくありがたい。

 

私は、つらく苦しい経験をしても、心の中に子供みたいに純粋な気持ちをもっている人、感情を肯定できる人、相手の立場を考えられる人がすごく好き。本当に好き。

 

そういう人に支えられてきたから、自分も同じように人に接することを絶対に忘れないようにしていくんだ。

 

二十歳になりました

本日、二十歳になりました。やったー。

 

二十歳記念に、かねてから飲みたかったドイツビールを飲みました。まぁ味は苦いですよね。でも夢の一つがかないました。

 

最近全然更新してなかったので、近状報告を。

 

 

ドイツへ行くでござる。

短期の1ヵ月だけど、留学してきます。長期とすごく迷ったんだけど、日本語教師養成課程っていう資格の授業とか実習の時期を考えると、この時期しかなくて。

 

それに2017年はルター500周年の記念だし。ね。50万円もかかるよ。つらいね。

 

母親を説得するのが一番大変でした。

「あんたお金はどうするのよ?てっきりもう貯まったのかと思ったのに(イライラ)」

「あんた行って何したいわけ?」

 

(´;ω;`)ウゥゥ

 

泣いちゃいました。我慢してたんですけど、涙がとまらなくて。そうしたら、母親もちょっとびっくりしたのか優しくなりました。私がレポート3枚にまとめた資料も読み始めました。

 

そこからずっと泣きながら、別の今まで抱えてた悩みとかも打ち明けてみたりとかして。結果的に前借する形になったけど、オッケー出ました。

 

大学3年になるまでに返済しないと。。。。

 

楽しみです。私は語学力をあげるのはもちろん、文化も肌で感じたいです。そして自分の意見を発言する練習をどんどんしたいんですよね。

 

あとは夏休みはバイトと遊びで終わるのはもったいない気がして。わりと勉強好きなんで勉強したいです。

 

そして家からの脱出。

 

ずっと家にいて親の保護下に置かれてるとダメになる気がして。親がいると安心ですけど、でも自由にはなれません。自由になれると解放感あるけど、責任も自分でとらなきゃなりません。でもその責任の反対には大きな自由がある。魅力的です。

 

30日だけだけど、頑張ってきます^^

 

 

つぶやき

気の使いすぎ?遣いすぎ?

 

 

疲れた。なんだか。日本人特有のもの?
お互いに傷つかないように、相手を傷つけないように、遠回しに言ったりはっきりとは言わないで伝えることに。時には、自分を曲げてまで、ウソついてまで、自分の思いとは反対のことを言う。それでいて平気なフリをする。疲れる。はぁ。誰かのせいじゃなくて、自分で勝手に「相手はこう思うから」と考えてしまっていた。無意識に。お昼ごはんの約束とか、隣に誰が座るとか、連絡するべきかとか、めんどくさくなった。別に1人でもやっていけるけど、たまには友達と一緒にいたりもしたい。寂しくもなる。でも一緒にいすぎると、それはそれで窮屈だ。つかずはなれず、ふわふわしていたい。

いちいち友達はどうするかな?なんて考えずに、自分がやりたいなら、好きならそれでいいじゃないか。

やっぱり友達といると安心するし、楽しい。だけどいすぎるとしんどくなる。息苦しくなる。自分よりも相手主義になっちゃう。いざ一人になると自由に行動できる反面、たまに妙に寂しくなる。

4月になってから新しいクラス、新しい人との出会い、友達、知り合い、先生。

自分の居場所を探し続けてしまうのは、まだ芯のある自分自身を持っていないのかもしれない。

最近のこととかいろいろ

最近のこと書くよ。

 

・ブログの記事を下書きに戻した

バイトのこと書いてた記事が守秘義務違反してそうで怖かったので下書きに戻した。バイト先名出しているわけでもないし、あてはまりそうなところは結構候補だせて、ここだ!って特定は難しいように書いた(仕事内容)けど、下書きに戻しました。ちなみにバイトは状況が良くなって続けています。続けられそうです。

 

・風邪を引いた

もー、ほんとこれ。1週間以上風邪ひいてる。はじめは今までの風邪とは違って喉の痛みがヤバかった。咳もひどいし、内科に行って薬をもらいました。ゲホゲホ!!オエオエ!!の繰り返しで。この状態でバイト行ってたんだからね。バイト中よりも行き帰りの移動の方がつらくて大変だった。

 

日本語教師

教職を2年生からとろうと思ったんだけど、果たして、自分は教員になるのだろうか。就活と教育実習がかぶったとき、実習を優先できるのか?留学はどうするの?時間割に組み込めるの?教員の仕事どう思ってる?など考えた結果、とるのやめました。

まず、就活と実習が重なったら私は就活優先したいと思っちゃうだろうし。知恵袋とかブログで教育実習した人の話とか聞いてて、あー学校の先生は違うかもと思った。教育に関わったりすることに興味はあるけど、学校の先生だけが道ではないよね。きっと。悩んでいた時に、「日本語教師」っていう職業もあって。とりあえずガイダンス受けないと詳しいことは分からないけど、日本語教師をキャリアの一つとして考える養成課程があるので、そっちを受講しようかな。教育にもかかわれるし、日本語とか日本について日本語を母語としない人に伝えていくってことに魅力を感じます。とりあえず、ガイダンス。はよ。

 

・ひたすら寝る

風邪をひいてしまったので、出かける用事があるとき以外はひたすら寝ているようなもんです。なぜか風邪をひいているときは怖い夢を見ないのでありがたいです。

 

・私の誇れるところって?

奨学金の申請をします。そこで大学での目標とか、将来の夢とか書かなくちゃいけないんですけど、私の誇れるところって、、、無遅刻無欠席なし、くらいしか思い浮かばない。これでいいんですかね。早く書かないと。

 

意外に書くことがなかった。だって風邪ですもん。

 

 

 

風邪ひいて思ったのが、また私は同じことを繰り返そうとしているなってことです。2年前に毎日11時過ぎに寝、朝5時に起きて英語の音読。風邪を2度ぶり返し、歯痛、アザ(部活)を繰り返し、部活の後輩や同期の問題処理や勉強でのプレッシャーを感じながらも、頑張って学校に行ってた日々。休むなんてこと頭になかった。そして4か月後にストレスからか脱毛を発症。その後も「休む」ということは意識の外に。

 

いやね、なんか他の人に迷惑がかかるという気持ちもあるんですよ。でも大半は、つらくても苦しくても、学校に行ってしまえば何とかなってしまったんです。だから体調が悪くても、とりあえず行けば何とかなるんじゃない?的な考えで19年間過ごしてきました。最後に学校を休んだなっての小1ですもん。それ以外はインフル以外休んでない。

 

でもこの考えにそろそろ終止符を打つ時がきました。ガボール・マテの本に出会ってから、自分自身に「私にも体調がすぐれないときに休む権利があるんだよ」って言ってみたりしてます。「無理して動く必要がない」って。

 

風邪をひいたときに迷いました。ああ、これ間1日の休みじゃ絶対治らないな。バイト休もうか。どうしよう、と。結果的に春休み分は全部出ましたけど、やっぱり体調は良くないし、長引くし、「休みたい」って言えない分、身体に体調の悪さが表れているのかなと。休めー!!って体が言ってるのかな。今まで休むことをしてこなかった人間は、休むということに罪悪感や抵抗感があるんです。そもそも休み方が分からない。何してればいいの、寝てればいいの?って感じです。骨折とかノロウイルスとか、「そりゃ休んでも仕方がない」と思われるような理由じゃなきゃ休んじゃいけないのではないか?と思ってるんです。なんでこんな考えをするのかな?と思ったら、いつか聞いた「風邪ぐらいで休むなんて」という言葉が影響しているのかもしれません。

 

なので!明日の新入生向けのサークルビラ配りはお休みします!!そして、日曜のバイトは休みにします!!

 

土日は改めて休むことについて考えていきたいなと思ってます。

もしも高校時代にもどれるなら、もっと将来について考えていただろうか

ここ最近、自分の将来について改めて考えています。

 

自分は何が好きなのか、何がしたいのか、どんな仕事が向いているのか、そのためには何をしたらいいのか。

 

春休み前に、私の大学を卒業して海外で働いている人の話を聞きました。話の趣旨は、世界で就職をするにはどうするのか、就活について、将来のことについて、いろいろ聞きました。

 

わたしは、自分の好きなことを仕事として選ぶのか、親がすすめる安定した公務員の道を目指すのか迷っていました。わたしの気持ちとしては自分の好きなことや、それにかかわることを仕事にしたい。でも、将来が不安。公務員みたいな安定している職のほうがいいのかもしれない。といった感じでした。

 

その方に質問してみました。すごく勇気がいりました。別に質問しなくてもいいんじゃないかとも思いました。でも、どうしたらいいか分からなかった。お話を聞いていて、この人に聞いてみたいと思えました。

 

そうしたら、「まず、自分の興味のある職業について調べてみて、その職に就くために必要なことやしなければならないことを『すき』『きらい』で選んでいく。その職業のことを何も知らないで判断することはすごく危険」とアドバイスをもらいました。

 

実際私は興味の幅が大きく、なってみたいと思う職業が多すぎていました。でもそれぞれの職に対しては、ふわふわしたイメージしかありませんでした。その職に就くために必要な資格や、修得するまでにかかる時間、お金、どういう過程を経てその仕事に就くのか。ほとんど知らずに、自分は何が好きなのか考えるだけで堂々巡りしていました。

 

前置きが長くなりましたが、この日以来、自分が漠然となってみたい職について調べています。その職に就くために必要な過程で、まず『好き』『嫌い』で判断していく。けっこう効果がありました。

 

例えば、私は絵が好きです。美術館にもふらっと一人で行ったり、授業も芸術系の授業を履修したり。小さいころから絵を描くのが好きで、マンガを描いたり、絵本も作ったりしていました。この、「絵が好き」ということを仕事につなげるとするといろいろな職業があります。私は幼いころ漫画家になりたいと思っていましたが、大学生の今、実際に職として漫画家をみてみるとでは、違うことが分かりました。漫画家になるまでの過程を『すき』『きらい』で判断したら『きらい』と思うことがありました。『きらい』というよりも、なんか気が進まない感じです。あ~漫画家になるにはこういう過程を通っていくのか、自分には職というより趣味ぐらいで描くのがあってるな~と思いました。

 

私が興味のあることは、芸術・絵・心(精神・メンタル)・心理・食(健康)・言葉・本・書くこと・精神とからだの関係・語学・ファッション・ヘアなどなど。

 

多すぎて関係する職を調べるだけで莫大な数出てきていますが、今少しずつ調べて『すき』『きらい』判断で振り分けています。実際にやってみないと分からないことも絶対にあるし、きらいと思ったことが案外すきになる可能性もあると思います。でも膨大な量の職から、自分の好きなことやしてみたいと思うこと、現実的な問題(お金・食べていけるのか)を考えていく中で、一つの判断として使える考え方だと思います。

 

わたしは判断したり職を調べていく中で、これが高校生の時にできていたらと思いました。わたしは高校で特進クラスに入りました。特進クラスは進学クラスよりも大学進学を一般入試で受ける人が多いです。圧倒的に。私は高校受験に落ちた時点で、大学は第一志望校の偏差値高いところに行ってやる!と思っていました。だから1年のころから勉強も頑張りました。正しい方向に勉強していなかったので成績はほとんど変わりませんでした。3年間は主に部活と勉強。もちろん遊びにも行ったりしました。

 

高校の次は大学に行くのが当たり前。専門学校行く人みたいに、自分のやりたいことが明確に決まってないし。良い大学に行けば、就職もできる。ネットにも書いてあるし。

 

そう信じていました。私はドイツ語をやりたかったので、ドイツ語学科や独文学科のある大学しか受けませんでした。結果的にはドイツ語学科でドイツ語とドイツ語圏のことを学んだり、研究したりできて良かったです。面白いし、もっと知りたいと思うし、後悔はないです。

 

でも将来のことは全く考えていませんでした。大学入ってからでいいやと思いました。そもそも将来のことや、自分について、自分の好きなことなどを考える機会がありませんでした。自分の将来よりも、とりあえず受験、大学へ行く、勉強をするしか頭にありませんでした。その結果、大学に入学して早々5月病になり、何もやる気が起きずに、なんで大学に入学したのかばかり考えました。大学をやめたいとも思いました。当然勉強にも手が付きませんでした。ドイツ語の小テストの点は半分以下、会話も文法も単位が取れるかギリギリでした。

 

ドイツ語の先生に言われた言葉。

「君たちはドイツ語を使って何かしたいと思って、この大学に入ったんでしょ?」

 

そういわれた私と友達は何も言い返せませんでした。答えられませんでした。高校生の進路選択の時点で、「私はドイツ語を使って〇〇をしたい!」なんて考えはありませんでした。

 

もし、進路選択をする高校生の時に戻れたなら私は自分の将来のことについて考えたでしょうか。大学生になって職を調べているうちに、ついてみたいと思う職には専門学校に行く必要があるものもありました。もしそのことに高校生の時点で気付いたら。もしかしたら大学進学にプラスして専門学校という道も考えていたと思います。

 

大学に進学したことは後悔していません。大学に入ってすぐは5月病になって落ち込んだりすることも多かったけど、最近では本当に授業がおもしろいと感じます。履修してみたい授業もたくさんあります。授業を通して、価値観が変わったり、新しい発見もありました。授業がきっかけで、気になる分野も増えました。気になるサークルもあって、新しい趣味ができるかもしれません。新しいことに挑戦できるかもしれません。大学生(学生)特権で図書館利用や美術館の割引、インターンに参加できたりもできます。何より、自分と向き合い自分の将来について考える機会ができました。

 

高校時代に戻ることはできないし、大学にはあと3年くらい通うけど、その中でもっともっと自分と向き合って将来のことについて考えていきたいと思います。

 

個人的に大学生版・大人版キッザニアがあればいいと思うんですけどね~