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ザフトさんのブログだよ

自分自身と向き合うためにブログやってます。

つぶやき

気の使いすぎ?遣いすぎ?

 

 

疲れた。なんだか。日本人特有のもの?
お互いに傷つかないように、相手を傷つけないように、遠回しに言ったりはっきりとは言わないで伝えることに。時には、自分を曲げてまで、ウソついてまで、自分の思いとは反対のことを言う。それでいて平気なフリをする。疲れる。はぁ。誰かのせいじゃなくて、自分で勝手に「相手はこう思うから」と考えてしまっていた。無意識に。お昼ごはんの約束とか、隣に誰が座るとか、連絡するべきかとか、めんどくさくなった。別に1人でもやっていけるけど、たまには友達と一緒にいたりもしたい。寂しくもなる。でも一緒にいすぎると、それはそれで窮屈だ。つかずはなれず、ふわふわしていたい。

いちいち友達はどうするかな?なんて考えずに、自分がやりたいなら、好きならそれでいいじゃないか。

やっぱり友達といると安心するし、楽しい。だけどいすぎるとしんどくなる。息苦しくなる。自分よりも相手主義になっちゃう。いざ一人になると自由に行動できる反面、たまに妙に寂しくなる。

4月になってから新しいクラス、新しい人との出会い、友達、知り合い、先生。

自分の居場所を探し続けてしまうのは、まだ芯のある自分自身を持っていないのかもしれない。

最近のこととかいろいろ

最近のこと書くよ。

 

・ブログの記事を下書きに戻した

バイトのこと書いてた記事が守秘義務違反してそうで怖かったので下書きに戻した。バイト先名出しているわけでもないし、あてはまりそうなところは結構候補だせて、ここだ!って特定は難しいように書いた(仕事内容)けど、下書きに戻しました。ちなみにバイトは状況が良くなって続けています。続けられそうです。

 

・風邪を引いた

もー、ほんとこれ。1週間以上風邪ひいてる。はじめは今までの風邪とは違って喉の痛みがヤバかった。咳もひどいし、内科に行って薬をもらいました。ゲホゲホ!!オエオエ!!の繰り返しで。この状態でバイト行ってたんだからね。バイト中よりも行き帰りの移動の方がつらくて大変だった。

 

日本語教師

教職を2年生からとろうと思ったんだけど、果たして、自分は教員になるのだろうか。就活と教育実習がかぶったとき、実習を優先できるのか?留学はどうするの?時間割に組み込めるの?教員の仕事どう思ってる?など考えた結果、とるのやめました。

まず、就活と実習が重なったら私は就活優先したいと思っちゃうだろうし。知恵袋とかブログで教育実習した人の話とか聞いてて、あー学校の先生は違うかもと思った。教育に関わったりすることに興味はあるけど、学校の先生だけが道ではないよね。きっと。悩んでいた時に、「日本語教師」っていう職業もあって。とりあえずガイダンス受けないと詳しいことは分からないけど、日本語教師をキャリアの一つとして考える養成課程があるので、そっちを受講しようかな。教育にもかかわれるし、日本語とか日本について日本語を母語としない人に伝えていくってことに魅力を感じます。とりあえず、ガイダンス。はよ。

 

・ひたすら寝る

風邪をひいてしまったので、出かける用事があるとき以外はひたすら寝ているようなもんです。なぜか風邪をひいているときは怖い夢を見ないのでありがたいです。

 

・私の誇れるところって?

奨学金の申請をします。そこで大学での目標とか、将来の夢とか書かなくちゃいけないんですけど、私の誇れるところって、、、無遅刻無欠席なし、くらいしか思い浮かばない。これでいいんですかね。早く書かないと。

 

意外に書くことがなかった。だって風邪ですもん。

 

 

 

風邪ひいて思ったのが、また私は同じことを繰り返そうとしているなってことです。2年前に毎日11時過ぎに寝、朝5時に起きて英語の音読。風邪を2度ぶり返し、歯痛、アザ(部活)を繰り返し、部活の後輩や同期の問題処理や勉強でのプレッシャーを感じながらも、頑張って学校に行ってた日々。休むなんてこと頭になかった。そして4か月後にストレスからか脱毛を発症。その後も「休む」ということは意識の外に。

 

いやね、なんか他の人に迷惑がかかるという気持ちもあるんですよ。でも大半は、つらくても苦しくても、学校に行ってしまえば何とかなってしまったんです。だから体調が悪くても、とりあえず行けば何とかなるんじゃない?的な考えで19年間過ごしてきました。最後に学校を休んだなっての小1ですもん。それ以外はインフル以外休んでない。

 

でもこの考えにそろそろ終止符を打つ時がきました。ガボール・マテの本に出会ってから、自分自身に「私にも体調がすぐれないときに休む権利があるんだよ」って言ってみたりしてます。「無理して動く必要がない」って。

 

風邪をひいたときに迷いました。ああ、これ間1日の休みじゃ絶対治らないな。バイト休もうか。どうしよう、と。結果的に春休み分は全部出ましたけど、やっぱり体調は良くないし、長引くし、「休みたい」って言えない分、身体に体調の悪さが表れているのかなと。休めー!!って体が言ってるのかな。今まで休むことをしてこなかった人間は、休むということに罪悪感や抵抗感があるんです。そもそも休み方が分からない。何してればいいの、寝てればいいの?って感じです。骨折とかノロウイルスとか、「そりゃ休んでも仕方がない」と思われるような理由じゃなきゃ休んじゃいけないのではないか?と思ってるんです。なんでこんな考えをするのかな?と思ったら、いつか聞いた「風邪ぐらいで休むなんて」という言葉が影響しているのかもしれません。

 

なので!明日の新入生向けのサークルビラ配りはお休みします!!そして、日曜のバイトは休みにします!!

 

土日は改めて休むことについて考えていきたいなと思ってます。

もしも高校時代にもどれるなら、もっと将来について考えていただろうか

ここ最近、自分の将来について改めて考えています。

 

自分は何が好きなのか、何がしたいのか、どんな仕事が向いているのか、そのためには何をしたらいいのか。

 

春休み前に、私の大学を卒業して海外で働いている人の話を聞きました。話の趣旨は、世界で就職をするにはどうするのか、就活について、将来のことについて、いろいろ聞きました。

 

わたしは、自分の好きなことを仕事として選ぶのか、親がすすめる安定した公務員の道を目指すのか迷っていました。わたしの気持ちとしては自分の好きなことや、それにかかわることを仕事にしたい。でも、将来が不安。公務員みたいな安定している職のほうがいいのかもしれない。といった感じでした。

 

その方に質問してみました。すごく勇気がいりました。別に質問しなくてもいいんじゃないかとも思いました。でも、どうしたらいいか分からなかった。お話を聞いていて、この人に聞いてみたいと思えました。

 

そうしたら、「まず、自分の興味のある職業について調べてみて、その職に就くために必要なことやしなければならないことを『すき』『きらい』で選んでいく。その職業のことを何も知らないで判断することはすごく危険」とアドバイスをもらいました。

 

実際私は興味の幅が大きく、なってみたいと思う職業が多すぎていました。でもそれぞれの職に対しては、ふわふわしたイメージしかありませんでした。その職に就くために必要な資格や、修得するまでにかかる時間、お金、どういう過程を経てその仕事に就くのか。ほとんど知らずに、自分は何が好きなのか考えるだけで堂々巡りしていました。

 

前置きが長くなりましたが、この日以来、自分が漠然となってみたい職について調べています。その職に就くために必要な過程で、まず『好き』『嫌い』で判断していく。けっこう効果がありました。

 

例えば、私は絵が好きです。美術館にもふらっと一人で行ったり、授業も芸術系の授業を履修したり。小さいころから絵を描くのが好きで、マンガを描いたり、絵本も作ったりしていました。この、「絵が好き」ということを仕事につなげるとするといろいろな職業があります。私は幼いころ漫画家になりたいと思っていましたが、大学生の今、実際に職として漫画家をみてみるとでは、違うことが分かりました。漫画家になるまでの過程を『すき』『きらい』で判断したら『きらい』と思うことがありました。『きらい』というよりも、なんか気が進まない感じです。あ~漫画家になるにはこういう過程を通っていくのか、自分には職というより趣味ぐらいで描くのがあってるな~と思いました。

 

私が興味のあることは、芸術・絵・心(精神・メンタル)・心理・食(健康)・言葉・本・書くこと・精神とからだの関係・語学・ファッション・ヘアなどなど。

 

多すぎて関係する職を調べるだけで莫大な数出てきていますが、今少しずつ調べて『すき』『きらい』判断で振り分けています。実際にやってみないと分からないことも絶対にあるし、きらいと思ったことが案外すきになる可能性もあると思います。でも膨大な量の職から、自分の好きなことやしてみたいと思うこと、現実的な問題(お金・食べていけるのか)を考えていく中で、一つの判断として使える考え方だと思います。

 

わたしは判断したり職を調べていく中で、これが高校生の時にできていたらと思いました。わたしは高校で特進クラスに入りました。特進クラスは進学クラスよりも大学進学を一般入試で受ける人が多いです。圧倒的に。私は高校受験に落ちた時点で、大学は第一志望校の偏差値高いところに行ってやる!と思っていました。だから1年のころから勉強も頑張りました。正しい方向に勉強していなかったので成績はほとんど変わりませんでした。3年間は主に部活と勉強。もちろん遊びにも行ったりしました。

 

高校の次は大学に行くのが当たり前。専門学校行く人みたいに、自分のやりたいことが明確に決まってないし。良い大学に行けば、就職もできる。ネットにも書いてあるし。

 

そう信じていました。私はドイツ語をやりたかったので、ドイツ語学科や独文学科のある大学しか受けませんでした。結果的にはドイツ語学科でドイツ語とドイツ語圏のことを学んだり、研究したりできて良かったです。面白いし、もっと知りたいと思うし、後悔はないです。

 

でも将来のことは全く考えていませんでした。大学入ってからでいいやと思いました。そもそも将来のことや、自分について、自分の好きなことなどを考える機会がありませんでした。自分の将来よりも、とりあえず受験、大学へ行く、勉強をするしか頭にありませんでした。その結果、大学に入学して早々5月病になり、何もやる気が起きずに、なんで大学に入学したのかばかり考えました。大学をやめたいとも思いました。当然勉強にも手が付きませんでした。ドイツ語の小テストの点は半分以下、会話も文法も単位が取れるかギリギリでした。

 

ドイツ語の先生に言われた言葉。

「君たちはドイツ語を使って何かしたいと思って、この大学に入ったんでしょ?」

 

そういわれた私と友達は何も言い返せませんでした。答えられませんでした。高校生の進路選択の時点で、「私はドイツ語を使って〇〇をしたい!」なんて考えはありませんでした。

 

もし、進路選択をする高校生の時に戻れたなら私は自分の将来のことについて考えたでしょうか。大学生になって職を調べているうちに、ついてみたいと思う職には専門学校に行く必要があるものもありました。もしそのことに高校生の時点で気付いたら。もしかしたら大学進学にプラスして専門学校という道も考えていたと思います。

 

大学に進学したことは後悔していません。大学に入ってすぐは5月病になって落ち込んだりすることも多かったけど、最近では本当に授業がおもしろいと感じます。履修してみたい授業もたくさんあります。授業を通して、価値観が変わったり、新しい発見もありました。授業がきっかけで、気になる分野も増えました。気になるサークルもあって、新しい趣味ができるかもしれません。新しいことに挑戦できるかもしれません。大学生(学生)特権で図書館利用や美術館の割引、インターンに参加できたりもできます。何より、自分と向き合い自分の将来について考える機会ができました。

 

高校時代に戻ることはできないし、大学にはあと3年くらい通うけど、その中でもっともっと自分と向き合って将来のことについて考えていきたいと思います。

 

個人的に大学生版・大人版キッザニアがあればいいと思うんですけどね~

 

ブラック部活の記事をみて小中時代のブラックな面がたくさんよみがえった話。

暗い記事になります。

 

 

今日たまたまブラック部活に立ち向かった父親の話の記事を読んでました。それでふと、自分の部活時代や学生時代はどうだったかな~って思い出したら、今で言ったらブラックって言われるんじゃねと思うことがボロボロ出てきたんで書き残しておきます。もう卒業して3年以上たっているし時効かな。

※ここでいうブラックは、長時間労働(長時間部活)や暴言もありますが、当時のいじめや学校の雰囲気など暗い印象のことについてもブラックと表現しています(ちょっと説明がしづらい)

 

小学校時代のいじめ、暴言、体罰について。

多分どの小学校にも「いじめ」は存在していると思う。絶対に。よくテレビとかでアンケートとったら、これだけいじめがありましたっていうけど、きっともっと多い。私もいじめられたし、関わっていないだけで他人のいじめを認識していた被害者でもあり加害者でもあった時期がある。わたし自身のいじめは、自分にも非があった部分もあり、直して自分で解決することができたのでここでは割愛する。

 

・菌呼ばわり事件

小学3、4年生のころ。私のクラスにのび太くんぽい男の子A君がいた。Aくんは周りと少しずれていて、結構やっかみや愚痴の標的になりやすい子だった。ある日Aくんのことを「A菌~きったね~」という男の子がいた。その子は普段からAくんのことを菌呼ばわりしていた。みんなも私もそれを黙認していた。ある日、先生のいる前でその子はAくんをいつものように菌呼ばわりした。それを聞いた先生は大激怒して緊急会議を開いた。教室の机を下げて、みんなで丸くなり、A君を菌呼ばわりしている件について一人ずつ意見を述べさせた。みんな「菌呼ばわりするのはいけないと思います」と言った。たぶん最後にはその子はAくんに謝って終わったと思う。それ以降菌呼ばわりは無くなったはず。(あまり記憶にない)しかしその後もA君は標的になり、ズボンをおろされたりしていた。そしてまた緊急会議が開かれた。

 

・窓ガラス割られた事件

ある日窓ガラスが一部割られていた。割ってしまったのはBくんだった。けんかしてイライラして窓ガラスにあたったら割れたらしかった。Bくんは教室の前に立たされて質問攻めにされていた。みんなが何を質問していたか忘れたが、Bくんはすごくおどおどしていた。私も質問をした。「なんでガラスを割ろうと思ったんですか」と。この時のわたしは変な使命感と正義感から質問していた。Bくんが窓ガラスを割ってしまったのはホントぽかった。でも「ぽかった」だけであった。本人は認めているのか認めていないのか微妙だった。私はBくんが確実に犯人だと思い込んでいたし、周りの人もBくんがやったと疑っていなかった。私はこの質問をしたことをすごく後悔している。本当にガラスを割ってやる!と意図をもって割ったんだと決めつけていた。もっと「本当にそうなのか」と疑うことが必要だった。疑うことを学んだのは大学生になってからであった。

 

・忘れ物したから修学旅行のお小遣い減らすぞ事件 極道先生①

小学5、6年生の修学旅行前。急に担任(女;27歳)が「明日忘れ物絶対するな。したらみんなの修学旅行のお小遣い減らすから」という命令(?)を出した。翌日、4人の生徒が忘れ物をしてしまった。4人の生徒は教室の前に立たされて、みんなの前で泣きながら「忘れ物をして…すいませんでした…」と謝罪した。一人の男の子に対して先生は、「忘れ物するなって言ったよな?」と言い、胸倉をつかんで「なんで忘れものしたんだよ!!!!(狂気)」と揺さぶった。(ヤバい)その子はロッカーの近くにいたため、ロッカーに頭をぶつけた。すごく怖かった。お小遣いは3000円から1000円に減らすことになったが、当時の学級委員長中心になってみんなで「お小遣いを3000円にしてください(涙)」とお願いしに行ってなんとか3000円にもどった。

 

 

・ハンカチ忘れたら調理実習中止事件 極道先生②

調理実習の時間。2時間の調理実習でお菓子を作る予定だった。先生は「ハンカチちり紙、絶対忘れるな」と言った。次の日Aくんだけがハンカチを忘れた。調理実習は中止と言われた。Aくんはあの菌呼ばわりされていたAくんである。Aくんだけ立たされて、先生に忘れ物をしたことを謝罪をした。しかし先生は「ほかにも言うことあるよね?」とAくんを座らせなかった。Aくんは返答が少しずれてしまうこともあり、ぽかんとしていた。たぶん周りのみんなも先生が何をAくんの口から言わせたいのか理解していなかった。「もう言うことないなら座っていいよ」と先生は言った。Aくんは座ろうとした。すると先生は「座るんだ~そうすると思ったよ(ニュアンス)」のようなことを言っていた。慌ててAくんは座るのをやめた。ちなみに先生はAくんに、みんなにも謝罪することを要求していたらしい。ハンカチを忘れたこと、みんなの時間を奪ったことを謝罪した。そして先生は他の皆にも、「明日絶対忘れるなって声かけをすることは出来たよね?そうしたら忘れ物防げたよね。(できるんだったらしろよのニュアンス)」と言った。私は少し疑問を持ったがすぐ打ち消された。結局、調理実習は遅れてスタートした。

 

 

・上履き没収事件 極道先生③

防災訓練の日だったと思う。集団下校のため、上履きは持って帰らなくてはならなかった。しかし、下駄箱に何足か上履きが置いてあったのをみて、勘違いした私は「置いてっていいんだー♪ラッキー」なんて思って帰り際に置いていってしまった。翌日私と数名の上履きは見事になくなっていた。先生が上履きを没収していた。それに気づいた私は恐怖におびえながら、友達と一緒に朝イチで職員室に行き、先生に謝りに行った。「置いて行っちゃいけないって放送でも言ってたよね?なんで置いていったの?」と言われた。怖くて怖くてたまらなかった。顔をあげられなかった。上履きは返してもらえなかった。泣いた。友達が「でも一番にあやまりにいったじゃん。えらいよ」と慰めてくれた。一日の半分を靴下で過ごした。その日の午後は全校集会があった。靴下で行くのはみじめだなと思っていたら、なんと上履きが返ってきた。でもあまり嬉しくはなかった。「あ、先生は学年集会で他の先生に、靴下でいる私たちを見られたくなくて上履きを返したんだ。上履き没収されているなんて知られたくなくて今返したんだ」と察知した。悲しくなった。

 

※小学校5,6年の担任(女;27歳)は若くきれいな先生でいい先生だと思っていた。実際担任がこの先生に代わって、私は学校に行くのが楽しくなった。しかし、この先生は怒ると本当に怖かった。特に忘れ物に対しては厳しかった。今でも、なにか忘れ物をしていないか心配で心配でたまらないし、忘れ物をしたら一生の終わりのように感じてしまうときがある。この先生には礼儀など役に立つことも教わったが、同時に恐怖も植え付けられていたと思う。ブチぎれると机を足で蹴っ飛ばしたし。

 

修学旅行でのクラスの集合写真を撮る際に、カメラマンさんが「OO先生は~?」と声をかける。だいたい「かわいい~」や「やさしい~」などと言って口をイーの形にできる言葉を選ぶが、私のクラスはみんな揃って「極道~!」と言ってた。撮っている間はネタで言っているような雰囲気だったし、みんなも先生もカメラマンさんも笑っていたけれど、これが私たちのクラスでできる唯一の先生に対する反抗だったのかもしれない。

 

 

 

長くなったので次の記事へ続きます

 

英語以外の言語を学んで気づいたこと。

わたしは大学でドイツ語を学んでいます。英語以外の言語を学んでみて気づいたことを書いていこうと思います。

 

英語の発音は難しい

ドイツ語にも難しい発音がありますが、今考えてみると英語の発音めっちゃ難しいです。舌を丸くする?感じとか簡単で短い文章を音読してみても、抑揚がすごいです。それに比べてドイツ語は英語ほど抑揚がなく、リズムにのれるのが多いので発音しやすいです。たぶん日本人はドイツ語の方が発音しやすいんじゃないかな、なんて思います(笑)それと、わたしには英語が母国語の人が話すカタコトの日本語より、ドイツ語が母国語の人が話すカタコトの日本語のほうがうまく聞こえます。

 

 

言語だけでなく、文化や価値観を一緒に学ぶべし

中高の英語の授業で、英語圏のこととかほとんど教わった記憶がありません。文化もほとんど知らなくて、価値観の違いもわからない。英語圏の人(英語=アメリカという認識がだいぶありますが)がどんな生活をしていて、どんな考え方をしてるのかとか、食事、宗教、歴史などを文法と一緒に学べていたら英語嫌いも少しは減るんじゃないかなって思います。言葉の背景には文化や価値観が強く出ていると思うので、そういうのを学べたらもっとおもしろいのにと思いますね。学校だとどうしても受験があるのでプリントばっかりやらされたりしがちですけど、それじゃほんとにつまらないですよね。

大学では、ドイツ語を学ぶだけではなく、歴史・文化・芸術・政治などさまざまなことを学べるので(必修)自然とドイツ語圏が身近になりました。ドイツ語圏の知識があるだけで文法などの学習も嫌と感じることはあまりないし、何より楽しみながら勉強できています。

 

 

ネイティブの授業が多い方が良い

私はネイティブ講師の授業が週に2回あります。そのネイティブの先生がドイツ人なんですけど日本語がペラペラで言語にも詳しいのでかなり面白いです。言葉を使うときのドイツ人の感覚も教えてくれます。週2回でもそこまで多くないかもしれないけれど、これからネイティブの人の授業を履修すればもっと増えるかもしれません。

中高時代の英語の授業では、ネイティブの先生って週1ぐらいじゃありません?私は中学校時代、英語が全く分からなかったので、先生が何言っているか理解できませんでした。日本語で説明してくれ!って思ってました。

でもネイティブの先生が授業をするときはやっぱりクラスの雰囲気は変わりましたね。ふざける人もほとんどいなかったし、座学というよりもゲームをしたりして楽しかったです。ただ座りっぱなしで、ノート取ってガリガリやる勉強だけじゃなくて、楽しみながら英語を学ぶのってすごく重要だと思います。やっぱり楽しくないと勉強は続かないと思いますし。学年が上がるとネイティブの授業も消滅してしまうのが残念でした。

 

 

受験英語で完璧意識が抜けなくなる

ドイツ語と英語を学んでいて感じるのが、言語を学ぶ時の気持ちの違いです。

ドイツ語を学ぶときは、完璧にしようという意識はあまり働きません。「分からない単語が出てきたら覚えればいいや~」「この単語ってこういう意味だったのか!」という感じであまり思いつめずに楽しくやっています。(さすがにテスト前はカツカツしてます)

でも英語を学ぼうとすると、すごく緊張するんです。間違えたらどうしよう、分からなかったらどうしよう、こんなものもできない、と自分を責めてしまいがちです。なんでかなと考えてみたら、受験が影響しているのかなと思いました。特に大学受験の時に英語をガリガリやっていたので、少しも間違えてはいけない、完璧にしなくてはいけないという意識がかなりしみついています。結構つらいです。今でもなかなか抜けなくて苦労しています。(気持ち的に)語学は完璧にしようと思わない方が良いとも言われますし、完璧意識をなくしたいのですが、まだ難しいです。

 

 

以上、英語以外の言語を学んでみての感想でした。めっちゃ関係ないですけど、わたしってブログ記事の口調が結構変わるんですね。自分のさかのぼってて思いました。(恥)

インターンについて正直に思っていることを書く(島キャン)

 

「島キャン」というのを聞いたことがあるだろうか。

 

「島おこしインターンシップ」といって、2週間島に行ってインターンをする。就業内容は農業、役所、ホテル、など多岐にわたる。島に行って働くを知り、島を知り、若者の力で島を活性化させるというものだ。

 

第一志望に落ち、大学生活に何もやる気が起きず、だらだらしていた私はこの「島キャン」に期待していた。インターンで企業の中で働くのはちょっと抵抗がある、でも大学生になったんだから新しいことに挑戦したい、夏休みは1か月以上あるから無駄に過ごしたくない。

 

ホームページでの体験談や島キャン生から直接聞く話にくぎ付けになった。「島の人たちは本当にいい人」「帰りたくなくなった」「ほんとうにおすすめ」そんな言葉ばかりだった。また、就活でアピールできるという言葉や動画をみて、ネタづくりになるかなと思った。

 

 

就業先が第5希望になった

就業先一覧から第5希望まで書いて提出する。私は農業などの都会でできないことをしたかったため、第1希望はそのような場所にした。しかし、就業先まで往復自費なこと、無給のところがおおいこと、宿泊代もかかることから、第2希望からはなるべく補助のあるところを選んだ。補助というのは、例えば自治体から宿泊代~円までは出しますよだったり、まかない(無料)がでたりなどだ。補助の多いところはほとんどがホテルなどだった。結果的に第5希望のホテルとなった。(他の人も第1希望で通った人はほとんどいないらしい)そこは宿泊+3食まかない付きで一泊1000円。まぁ普通に泊まるよりは断然安い。最後にダイビングをさせてもらったり(タダ)、うきわや自転車などもレンタルはタダだった。ダイビングも、レンタルも補助にふくまれていた。

就業先を選ぶ段階でかなり親ともめた。親の言い分は「働くのに給料が出ないのはおかしい」「宿泊費をとるところがあるなんてケチだ」などなど。その時のわたしは、「給料をもらえなくてもすごく良い経験ができるんだ…!就職でアピールできるような経験…!島の人たちとの涙のお別れ…!働くことを知った私…!」という妄想が膨らんでいた。脳内お花畑と言われてもおかしくないだろう。とにかく行って経験あるのみ、やってみなけりゃわからんぜぇとかいろいろ考えていた。このころ、ちょこちょこネットで無給インターンについての記事を読んでいたりもした。

 

 

2週間働いてみたけど

一緒に働く島キャン生は私ともう一人。就業時間は10時から8時間程度。たまに早く終わることもあった。業務内容はフロントで接客、客室清掃、レストランのホールと書いてあった。が、実際は2週間ずっと客室清掃だけだった。10時に集合場所に行き、14時には清掃し終える予定だが、人が足りないので結局16時にごろに終わる。お昼ご飯はほとんど16時過ぎに食べた。夕ご飯はお腹に入らないので、途中から夜のまかないをなくして1日2食で過ごした。客室清掃の後はトイレ掃除(きいてない)と窓ふき床そうじ・床磨きをした。掃除しかしてねぇ。夏だったから汗がだらだら出た。それでも来たからには一生懸命やった。しかし、私は思った。

 

「これって、いいように使われてるだけじゃね」

 

考えないようにした。しかし、日に日にこの思いが頭を占めてきた。給料が出ているのならともかく、私たちは無給で働いている。そして一緒に働いているパートのおばちゃんたちは給料をもらっている。私たちはもらっていない。経験の差こそあれ、同じ仕事内容をこなしている。でも私たちはお金をもらっていない。お金もらってない。いつしか一緒に働く同期の子と、こんなことを言うこともあった。

 

「まじでいいように使われてるよね」

 

「給料でてねぇし」

 

「ほんとそれな」

 

「時給700円だとしても結構たまるんじゃね」

 

「もう適当でよくね」

 

「それ」

 

トイレ掃除を少し手抜きでやりました。

 

 

やっぱお金大事

2週間のうち働いたのは10日間。4日間は休み。休みの日に観光もできた。おいしいものもたくさん食べた。島の人たちはあたたかい人が多かった。思い出もできた。同時にお金もたくさん使った。あちゃー。

私がこのインターンで学んだのは、「お金の大事さ」だった。無給で働いている人間と、給料をもらっている人間が同じ仕事内容で働く。時給の差があるならまだしも、無給となるとやる気がなくなっていった。「なんで給料出ていないで働いてるんだろう。お金ほしい。お金。」と頭の中がお金でいっぱいだった。お金はときに汚いイメージをもたれる。しかし、お金は同時に働くものに仕事に対するやる気を与えてくれる。労働に対する証のような存在である。毎日毎日、自分が頑張って働いてきた証である。お金に対する意識が変わった。たかがお金、されどお金。このインターンをしなければ気づけなかったかもしれない。

 

 

期待しすぎ

それと、私はこのインターンに期待しすぎていた。のちの報告会で、他の人たちの働いていた話を聞いた。「ほんとうに忘れられない経験になったし、今でも思い出しただけで泣けてくる」そう語る人もいた。その顔は心からそう思っているんだなと思える顔をしていた。一方で、つらい経験をした人もいた。就業先の人と合わず、同期とも合わず、毎日泣いていたという子もいた。良い体験をしたと心から言える子たちがうらやましかった。もっと島の人と交流したいと思っていたけれど、そこまで多くは出来なかった。でも2週間で島のことを知れたのは良い機会だったし、また島を訪れるかと聞かれたらイエスと答える。

参加する前のわたしは、島キャンに参加すればすべてが変わるような幻想を抱いていた。この幻想は、大学生になれば彼氏/彼女ができて、サークルに入って、勉強も頑張って自動的にリア充になれると勘違いしていた去年の自分と同じだ。大学生になれば自動的に自分の理想の人間になれるわけではないのと同じで、インターンに参加しただけで圧倒的成長()するわけではないのである。今いる環境でどう考え、どのように取り組み、それを今後にどう生かしていくのか。自分なりに試行錯誤していくことで成長していくのだ。

 

おわりに

もしこの記事を読んだ人で島キャンに参加する人や参加しようと迷っている人がいたら伝えたいことがある。もし島の人と多く交流したければ役所や事業所などホテル以外の方が機会が多いと思う。実際に仕事終わりに飲みにつれていってもらった人も多いし、話を聞く限り島の人と交流がさかんな印象をうけた。補助が充実しているところや、給料が出るところなら、ホテルや飲食をおすすめする。私は1泊1000円で泊まれたが、補助がなく、ウィークリーマンションという1泊3000円程度のところに泊まった友人は食費もかかって2週間で35000円以上かかったそうだ。

この記事を読んで、不安になったひともいるかもしれない。ホームページには当たり前のように良い情報、ウケのいい情報しか載ってないと思う。当たり前だが。全ての人が良い経験をするわけじゃない。でも嫌な経験しかしない人だけかといったらそうでもない。大切なのは実際に経験してみて自分で考えることだと思う。私は無給で働いたことに今更「無給インターンどうなの?」と疑問を持った。働いていたのは半年も前のことだけど。給料が出ないことに対して、お金について今までより考えるようになった。良い経験も嫌な経験も何か教えてくれるものはあると思う。実際に経験して無給クソって思ったら次インターンするときは有給のインターンをすればいいと思うし、無給でもそれ以上のものが得られたならそれはそれで良いと思う。どうか2週間頑張ってください。

 

 

飛行機代往復25000円

空港までの交通費往復2000円

宿泊代14000円

現地での観光代・お土産代22000円(たぶんこのくらい)

 

短期バイト代が一気に吹っ飛びました。

 

おわり

 

真面目な性格についてただひたすらに語る。

あなたは「真面目」だと言われたことがあるだろうか。

 

私はこれまでの人生で何度も「真面目」だねと言われたことがある。これは私の長所でもあり、短所でもあると思う。

 

そんな「真面目」という言葉と生きてきた19年の人生でいろいろ思ったことを書こうと思う。

 

 

私は「真面目」という言葉にマイナスイメージをもっている。もちろんポジティブなイメージもあるが、9:1くらいの割合でマイナスイメージしかない。

 

なぜこんなにマイナスイメージが占めてしまっているのか考えてみた。そしてある一つの結論が出た。それは「真面目」で得をした経験がなかったり、周りの価値基準で「真面目」という言葉を理解していたのだと思う。

 

「真面目」で得をしたことがあるのか考えてみた。すぐに思いつかなかった。かろうじて成績表に真面目に取り組んでいると書かれているくらいだった。

 

私の中ではやはり「明るい」とか「元気」の方が得をしているイメージがある。明るさや元気は周りの人にいい影響を与える。バイトの求人募集では、明るくて元気な人を募集しているし、実際接客されて気持ちがいい。時に明るさや元気さが「うるさい」につながることもあるだろう。でも、明るくて元気なことはたいていの場合はプラスに働く。自分だけでなく、周りも。

 

「真面目」は何か得になることがあるだろうか。きちんと仕事をする、約束やルールを守る、一つのことにキチンと向き合う。思いつく限りあげた。もちろん得をすることもあると思う。ただ、私はどうしても「真面目」というものに対してプラスのイメージを多く持てない。

 

ネットで「真面目」と検索すれば、「おもしろくない」「融通がきかない」などのマイナスイメージがついてまわる。それに「真面目」じゃない人に利用されたりもする。

 

「真面目だね」

 

この言葉を肯定的にとらえることが未だにできずにいる。雰囲気では肯定的に言ってくれる人が多い。本音は否定的な意味で言った場合もあるとは思うが。

 

中学校の卒業アルバムの寄せ書きで、ある先生が書いた言葉がある。

 

「いつも真面目な〇〇さん、すこしは休息を・・・」

 

疲れているように見えたのだろうか。カチカチだったのか。正直嬉しくはなかった。

 

高校の時に古文の先生がつくった活用プリント。大量に問題数があるから手を付けない人が多かった。でも私は全部やっていた。その埋まったプリントをみて先生が「真面目すぎる!」と言った。私には真面目すぎるの意味が分からなかった。

 

小学校のころ。授業中に発言をたくさんしようと先生がみんなに言った。発言カードも配られて、何回発言したか記録させられた。私は発言が苦手だった。1回してしまえば、次も手があげやすくなる。でもその1回になかなか勇気が出なかった。でも頑張って発言しようと思って、授業中に手をあげることを試みた。だいたいの授業で必ず1回はあたり、多いときは3回発言できた。

しかし、あるとき、いつもやる気なさそうで「真面目」に授業を受けていないクラスメートが発言するようになった。すると先生は珍しく発言する気になっている生徒を何回もさして、もともと頑張って発言していた生徒をさす回数が減った。なんだか報われない感じがした。はじめから頑張っている人より、あとから頑張り始めた人の方が好きなのかなとも思った。その先生からの評価も「真面目」だった。

 

多分私は、まわりの「真面目」という評価を、馬鹿真面目に受け取りすぎているのかもしれない。そして馬鹿真面目に受け取って出来上がった真面目すぎる性格のせいで、いまこんなにも「真面目」ということについて悩みだらだらと文字を打っている。

 

周りの人が「真面目」と評価する私の行動は、私にとっては普通のことだった。ルールを守るのも、宿題をやってくるのも、授業をちゃんと聞くのもすべて普通のことだった。普通というと少しニュアンスが違うかもしれない。「真面目」と評価された私の行動は、ただ私がやりたいからやっているというのも含まれる。

 

「真面目」と言われて得をしたこともはっきり思い浮かばないし、むしろ利用されたこともある。お堅いイメージをもたれたりもする。暗い、地味。そんなイメージしかわいてこない。

 

そもそもこんな「真面目」ということを悩んでいるのが馬鹿らしくもなってくる。「真面目」な人は必要とされているのだろうか。それよりも「明るくて元気」な人の方が需要があるように思える。「明るくて元気」と言われたら誰でも誉め言葉として受け取るだろう。でも「真面目」はどうだろうか。

 

すごく暗い記事になってしまった。というのも、アルバイトの合否連絡が指定された日にち(今日)に連絡されるはずが来なかったことから始まる。私は朝からケータイとメモをセットにして、いつでも出られる準備万端の状況で待っていた。途中昼寝をするときにも、枕元に置いていた。でも来なかった。なんかセットしていた自分が馬鹿みたいに思えた。そこから変に「真面目」について考え込んでしまったのである。(苦笑)明日また電話してみようと思う。

 

今日は急に真面目について考えて一人で悩んで落ち込んでブログに書きこんでいるのでもうなにをかいているのか分からなくなっている。もう終わりにして寝よう。

 

こういう風にどうでもいいことまで説明しようとするところって真面目すぎますかね。