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ザフトさんのブログだよ

自分自身と向き合うためにブログやってます。

心の中でバイバイした人は結構いるんだよ

わたしは、大学生になってから自分が変わりました。

 

まだ完璧に変わっているわけでもないし、変化の途中でもあります。

 

今までの自分とは違っていると実感できます。

 

生き方や、考え方、生活の仕方もそうですが、人間関係でも変わったなと思うことがあります。

 

 

人を選ぶようになった

 

今までは、だれでもウェルカムといった感じで人と接していました。

私は人が好きです。話すのも大好きです。新しい人と話すのは不安で緊張もするけれど、ワクワクします。

 

でも、他人に気を使いすぎていました。自分を好きと言ってくれる人は好きだし、嫌いという人は嫌いでした。今考えると、そう考える方が大きく傷つかずに済むからです。

 

私は好きなのに相手は私を嫌いと知るよりも、相手が私を嫌いなら私も嫌い、という嫌い同士の関係の方がショックが大きくないと思ったのです。

 

自分は嫌いでも、相手が好いてくれていると、とたんに自分も相手を好きなりました。

 

何かをお願いされると頼られている感じがして進んで引き受けました。

たとえそれが相手のためにならず、自分が損をしている場合でも。

利用されているだけなのではないかと疑問に思っても。

「ありがとう」と言われるのが嬉しくて、ついやってしまい、断れませんでした。

 

今考えると、ほんとバカだったなと思いますよ。本当に無駄な時間を過ごしたと思います。

 

小学生のころは、他人の宿題をやってあげたり。(このときは自分は他人の2倍やっているから力がつくぞとポジティブに考えていましたが)

 

中学になると、また課題をやってあげたり。

時間割や重要連絡のメモを取っていたら、メモするの面倒な友達が私がメモを取っている姿を見て、「あとで送って~」というのでメールで送ってあげたり。

 

高校時代は特にひどくて、クラスの半分以上の人にいろいろ聞かれました。

あしたの持ち物、宿題、プリントや単語集の写メ、勉強の仕方、テスト範囲教えて、テストの持ち物教えて、テストの時間割教えて、この問題教えて(写メ付き・通話がくる)、テスト前の自習時間でも教えてと言われた友達の勉強を教えたり、コンサートのチケットとってくれ私振り込み方わからないからお願いと言われたり。

 

もう疲れたよ。(パトラッシュ)

 

なんであんたのために詳細とかプリントの写メとか送らなきゃいけないの?

それぐらい自分でしなよ。ちゃんと自己管理してよ。なんなの。

なんで私にばっかり頼ってくるの?何で?他人頼りで生きててなんも思わないわけ?

テスト前になるとすがりついてくるの何なの。たいして仲良くないのに。

 

とは言えなかったんですよね。本当に疑問なんです。なんで自分でできることはしないのか。なにかあると聞けばいいやとか、他人任せなのか。

 

誰にだって忘れることとか分からなかったことはあるので1回や2回は問題ないです。

私はそういう人を責めるつもりはありません。

 

でも、何回も何回も同じことを聞いてくると腹が立ちます。お礼を言わない人はもっと腹が立ちます。ありがとうすら言えないんですかね。

 

クラス変わったのに「小テストの出た問題教えて」ってわざわざ私のクラスまで来て強引に聞き出そうとする人もいました。結局でないところを教えましたけど。

 

高校卒業したのに、LINEで英語の長文送ってきて、「合ってるかな?間違ってたら教えて!」って人もいました。いやいや、うち英語教師ちゃうねん。

 

私だったら何回も聞いてしまったらお詫びにお菓子あげたりすると思いますけどね。

よく英単語の写メ送ってほしいって言われて何度か送ってあげた友達は、「いつも写メ送ってもらってるから」ってお菓子くれました。1人だけでしたけど。

 

もうこういう人間関係はやめようと思います。ただ利用されているような繋がりは切ろうと思いました。切ると言っても、タイトルにつけたように、心の中でバイバイするって感じで。

 

その人のための専属トレーナーみたいなことやってられないですよ。お金くれるわけじゃあるまいし。

 

それで、もっと自分が自分でいられるような人を選んで付き合っていこうと思います。

リプだけで「遊ぼうね!」なんて言うだけの関係はやめます。どうせ約束までいかない関係なのだと思うけど。逆にもしかしたら、遊ぼうって言いながら遊ばないでいる距離の方が良いことだってあるかもしれないし。

 

何回か2人で遊びに行ったりした人もいたけど、なんか遊んでいる自分が好きになれないときもあったし、急にぱったり連絡取らなくなったりした人もいました。

 

もう利用されるだけの関係の人とか、全然話したことない人なのになぜか繋がってたりとか、なにかとすがりついてくる人とは、これまで以上に距離をとります。実際には言わなくても心の中ではバイバイしました。「この人とはもういいかな。バイバイ。」って。

 

冷酷に思うかもしれないですけど。

 

今は心の中でバイバイした人でも、いつかまた会う機会があったときに、お互い気が合うならまた付き合っていけばいいと思うんです。私はそう思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

給食がつらい

ぼくは、給食を食べるのがとても遅いです。給食を残してもいい分量は決まっていて、それでも食べられないので、いつも昼休みのそうじの時間まで残されて食べさせられます。給食のせいで学校に行くのがいやです。

裕太くん(10歳)小5・茨城県

 

 

みんなのなやみ (よりみちパン!セ (01))

みんなのなやみ (よりみちパン!セ (01))

 

 

たまたま図書館で借りた本のなかにでてた悩み。小学生~高校生の悩み相談に答えている本なんだけど、この給食の悩みはすごく考えさせられた。

 

この悩みに対して

子どもは、家畜なんかじゃない。

 

まず、「給食を残していい分量が決まっている」って、いったい、そんなものがどうやって決められるの?小学五年生なんていったら、体格の差もどんどん出てくる。食べられる量だって、みんなまちまちであったとしても、ちっともおかしなことじゃない。

しかも、最後まで残されて食べさせられる。まさに、「食べさせられます」という表現が、問題のすべてを言い表していると思うんだ。食事を「食べさせられる」のは家畜です。人間は「食べる」んです。自分の意志で、「ごちそうさま」を言う権利だってあるんだ。

 

ここで、小中学校の給食がどうだったか思い出してみた。

 

 

小学校時代

小学校時代、「給食=完食するもの」だという意識があった。あったというより、そうしなければならないと教わったようにも思う。

私にとって給食はマイナスなものではなく、むしろおいしいし、楽しいといったものだった。給食の献立の書いてあるプリントを見て、あしたの給食が何かを確認するのが好きだった。

クラスではご飯の入った大きな銀のトレーや野菜の入ったボウル空っぽにし、牛乳パックをきれいに折りたたんで箱にびっちり詰めるまで徹底的に訓練された。

ご飯があまったら食べられる人がおかわりに行く、それでもあまったら先生が持参したふりかけをかけておにぎりにすることもあった。

完食できるクラスは素晴らしい、食べ物を粗末にしない、給食のおばさんがつくってくれているんだから残してはいけない。

完食記録が続くたびにクラスでは拍手が起こった。

給食は好きだったし、残すことに罪悪感があった。だからあの時、自分だけ盛大に盛られてしまったわかめご飯を、減らしに行くことはできなかった。嫌いだった春の香りご飯(桜の花入り)とか、菊の花ご飯(菊の花入り)はまるごと飲み込んだ。

いまでも、献立名を覚えているのはそれだけ嫌な思いが強かったのだと思う。でも、残してはいけない、捨てるのはもったいない、もし自分が残した分が余ったら、完食記録が途絶えてしまう。そんな思いもあった。

比較的小学校時代の給食は、重苦しいものではなかった。

 

 

中学時代

小学校ほどではないにせよ、中学校でもやはり完食をしようという雰囲気はあった。わたし自身もできるだけ完食を目指すべきだと思っていた。

しかし、中学に入ってからびっくりした。ほかの小学校出身の人たちが容赦なく給食を残していた。嫌いなものはすぐに「まずいまずい」といってトレイやボウルに戻していった。ドライカレーにミックスビーンズが入っていた時は、豆だけ取り除いて席に戻る人もいた。

小学校との違いに驚くとともに、落胆、怒りがこみ上げた。牛乳が嫌いな人もある程度いて、必ず1本は余った。

中学3年のときが特にひどかった。みんな好き勝手残すしていき、完食することはほとんどなかった。

その状態のなか、担任は「あ~あ、世界には食べられない人がたくさんいるのにな~」と嫌味っぽく言った。

担任が「そんなんじゃ勝てねぇぞ」と言ったときは、クラスの委員長がボソっと「何に勝つんだよ」とツッコんだのを覚えている。

 

 

小中学校の給食の中で嫌な思い出が少し出てきたので書き残しておく。

小学校の時、給食委員の子が「いただきます」のあいさつを言おうとしていた。けれど、みんな話に夢中でざわざわしていた。何度も給食委員の子が「静かにしてください!!!!」と言っていた。そうしたら、ついに当時の担任(女・27歳)がブチ切れて、給食中に一切しゃべるなと言われた。私の目の前の男の子が「みそ汁の具が少ない…」とつぶやいただけで、「しゃべるな!!!」と怒鳴られていた。悲しい給食だった。

 

小学校時代も中学校時代も、同じ班の人と席をくっつけて食べるのがいやだった。好きな人たちならまだしも、席替えによって運悪く嫌いな人や苦手な人と給食を食べるなんて苦痛以外の何物でもなかった。

 

小学6年のころ、自由席替えをしてみようということになった。卒業までの残りの間、1週間ごとに席替えをする。男女別にくじを引くのではなく、合同でくじを引く。運が良ければ女子だけ、男子だけの班がつくれるかもしれない。ほとんどが賛成だった。

 

残念なことに、わたしは運悪く男子4人女子1人の班になってしまった。ほかに男子1人女子4人の班があった。ここで取り換えてくれればよかったのに。でも一週間の間だけだと割り切って過ごそうと思った。

でも無理だった。給食中には会話に入れず、話も飛ばされ、班ごとに決められた掃除の時間も苦痛だった。自分だけはぶられている、必要とされていないと思ってつらかった。ある日我慢できなくて体育の着替え中、泣いてしまい、トイレにこもった。近くにいた友達が心配してくれた。教室に帰ると、だれかが先生に言ったらしく、同じ班の男の子が怒られているようだった。謝られたけど、もうどうでもよかった。謝るようなことじゃないし、そもそも同じ班の男の子が悪いとかは思っていなくて、ただ、あの席替えの際に少し考慮は出来たのじゃないかと思った。腑に落ちなかったし、謝ってほしいなんて感情も無かった。

 

中学校のころは、女子2人男子3人の班が多かったから、女子が1人休んでしまうと女子1人で給食を食べることになった。男子が苦手だったから、何話せばいいかわからなかったし、そもそも話すことも無かった。苦痛だった。先生によってほかの班に移動してもいいよと言ってくれた。これは救いだった。

中学にもなると、男女意識しすぎて、机を微妙に離す人もいた。5人班の時は誰か1人お誕生日席という席の位置になる。聞こえはいいが実際に座ってみると妙に距離感を感じて寂しい。孤独を感じた。

 

 

他の子たち

牛乳が苦手な子、豆が苦手な子、量が多いと言っていつもご飯を減らしていた子、ずっと食べ終わるまで「食べさせられた」子。

 

教室にはいろいろな子がいた。

 

卒業して何年かたって気づいた。給食を食べるのが遅くて、掃除の時間もずっと食べてて、5時間目が始まる前に先生が「もう片付けてこい」と言ってようやくごちそうさまができる子が、必ずクラスには1人いたのに、その状態をただの出来事として見ていたことを。あれは異常だったんだ。掃除中も「食べさせられる」なんて、衛生面どうなっているんだ。準備から片付けまで30分しかないのに。準備に15分かかったら食べられる時間は15分しかない。体育で遅くなれば10分しかないときもあった。あの子はどういう気持ちで給食を食べていたんだろう。私は掃除中まで給食を食べていなかったし、時間内に食べようと必死に無言で食べていた。

 

給食は残したらだめ。完食を目指そう。世界には食べられないで死んでいく人もいる。給食のおばさんがせっかく作ってくれたのに、たくさん残ってたらかわいそう。

 

小学校からずっとこんな言葉を聞きながら育ってきた。たしかに、残すよりは食べきった方がいい。もったいない気持ちも分かる。食べ物を粗末にしてはいけない。もっともだ。

でも、完食を意識しすぎるあまり、給食を実際に食べている友達や自分の気持ちに気づくことができていなかった。自分の気持ちを殺し、無理にでも食べなければならず、食べるのが遅ければ周りが掃除を始める中、自分1人だけぽつんと食べなくてはならない。「給食がつらい」という気持ちは、クラスの完食をしよう、残したらいけないという空気に殺されてしまう。

 

『みんなのなやみ』を読まなかったら、一生気づけなかったと思う。もし給食がつらいという悩みを知らずに大人になったら、きっと将来の子どもや友人、そして自分にも、残すのはもったいないから食べろといってしまうだろう。

大切なのは、その人の食に対する気持ちだ。食事は楽しく食べていいものである。自分の気持ちを殺してまで「食べさせられている」状態の人がいたら、「無理して食べなくていいんだよ」と声をかけてあげることができるはずだ。

中途半端なSNS断ちするなら、いっそのことアカウントごと消そう

高1の9月からはじめて約3年間お世話になったTwitterのリア垢を削除しました。

 

waiwaijw.hatenadiary.jp

 

やめて2週間くらいたったんでその後どうなったか事後報告~~

 

 

 

やめて良かったっす。ふつうに。

 

やめる前

・みんな何してるかな~(気になる気になる)

・キラキラ、楽しいツイートみる→うちも遊びたい、悲しい、ショボーン

・いいね嬉しいなもっと欲しいどうやったら昨日よりいいねもらえるかな(承認欲求爆発)

・やばいTwitterばっかり見ちゃう勉強できてない

・なんでこんなに見ちゃうんだろう(自己嫌悪)

 

やめた後

・みんな何してるかな~(でもどうでもいいか、そんなことと思えるようになる)

・本をよく読むようになった!(1年0冊→今月だけで5冊)

・ほかのことに興味がわいた(料理・服)

・案外みんな他人のことは気にしていないと分かった

・ふつうに生きられるじゃん

 

 

やめる前はかなりTwitterにのめり込んでいて、一日の大半をリア垢見るのに費やしていました。目も疲れるし、心もなんだかしんどくなる。

 

やめてみて、ふつうにTwitterなくても生きていけるし特に仲間はずれになることも無いし、平和に過ごしておりまする。

友達に「うちリア垢やめたの知ってる?」って聞いたら、「え!?そーなの?!全然気が付かなかった!!」って言われたので、みんな他人のことなんて気にしてないんですね。やめるまでは、これからの友達関係のこととか不安になることもあったけど、案外気づかれていないし、全然心配しなくてもよかった(笑)

 

 

前にもSNS断ちしようとした。

ちょうど4月ごろ、ブログを始めて少ししたくらいにSNS断ちを始めました。そのときの記事はすでに削除しちゃったんですけど、甘かった。SNS断ちは結局達成できてなかったように思います。

 

まずリア垢を見るのやめようと思って、ログアウト状態にしました。でも見たい人のツイートは通知で来るようにしていました。

 

!!!これだけじゃ!!!SNS断ちなんて!!!できないんだな!!!!

 

実感した。。少し見ない期間を設けると、心が楽になります。キラキラツイートも、楽しいツイートも、不満ツイートも見てても平気でした。心に余裕があったから。

案外Twitterやっても一時期だけみなければいけるじゃん!!ハッハー!

 

でも、3か月もたつとまた同じ症状が出るんですよ。

モウ、ツイート見タクナイ。ツイッターヤメタイ。ヤメタイ。

ああ、結局SNS断ちできてないし、また不のスパイラルの中にいるなーと。

やめる→平気になる→見る→辛くなる→やめる→平気になる→見る→辛くなる・・・

 

「ログアウト状態にしていつか復帰するかもしれないときのために残しておこう…」

「通知はつけておこうかな…」

「やめようと思えばいつでもやめれるし、別にアカウント消さなくてもいっか…」

 

 

 

断言しよう。

そんな中途半端な考えじゃ絶対やめられない。

(この中途半端な考えは、はじめてSNS断ちをする際に実際に私が考えていたことです。)

 

SNSが生活の一部になっている、習慣になっている時点でやめるのって難しいです。しかも好きなことなら余計に難しいです。

でも、そのSNSに支配され、振り回されているのなら、もうやめて解放されたいと思うなら、自ら意図的にSNSをブロックしていくしかないんです。

自分はSNSぐらいやめられるよ、大丈夫大丈夫!!なんて考えを捨てて、自分はSNSに支配されているんだ、コントロールされているんだってことを自覚しなければ始まりません。

一切SNSを見ないようにするなら、アカウントごと消す勇気が必要です。そのくらい思い切らないと、SNSの支配から逃れることはできません。

 

詳しくは

 

スマホの5分で人生は変わる

スマホの5分で人生は変わる

 

 に載っているのでやり方は割愛します。

 

ただなんとなくSNSを見てしまうとか、SNSに費やしすぎているこの時間を別のことに使いたい、友達の近状や今何しているかを見るのが辛い、SNSの中の人間関係が辛いと考えているなら、「アカウントごと消す」のがいいと思います。

 

ログアウトにするとか、好きな人だけ通知とか、ちょっと触らないでおくことと比べるとアカウントを消すことはすごく勇気がいると思います。でも中途半端にSNS断ちをするよりは一番効果がある方法だと確信しています。

猛烈にお金が無くなっていってやばい(備忘録含む)

お金がない。金欠。

 

財布の中には4000円。通帳の中には1万5千円。その他小銭。

ん~~3000円のアルバム買ったら破産するな。1万5千円は留学費用として貯めておきたい。

 

ほんと買いたい本がたくさんありすぎて困る。

 

・モテない女は罪である

モテない女は罪である

モテない女は罪である

 

 山田玲司の本。たまたま連載を見つけて読んでたらすごく面白くて、本だしているなら買おうと思ったけどレジに持っていく勇気がなくてAmazonでポチろうか検討中

 

 

・オクテ女子のための恋愛基礎講座

評判もいいし、何よりオクテ女子なのでぜひ読んでみたい。恋愛してみたいな…はは…

 

 

・「大学時代」自分のために絶対やっておきたいこと

「大学時代」自分のために絶対やっておきたいこと

「大学時代」自分のために絶対やっておきたいこと

 

 図書館で借りたけどなかなか良かった。サクサク読める。心に響いた言葉を書き留めるのめんどくさくなったのでいっそ買って線を引こうか考えてる。

 

 

 ・時に海を見よ

時に海を見よ-これからの日本を生きる君に贈る

時に海を見よ-これからの日本を生きる君に贈る

 

 立教新座高校の卒業式の話で有名になったやつ。何回かブログでも引用した。本だと、祝辞のあの言葉の意味はこういう意味だったとか書かれているのが分かりやすい。この方のビシッとしたものの言い方はめちゃくちゃスッキリする。語彙力高めたい。

 

 

 ・小学校6年分の算数が教えられるほどよくわかる

小学校6年分の算数が教えられるほどよくわかる (BERET SCIENCE)

小学校6年分の算数が教えられるほどよくわかる (BERET SCIENCE)

 

 本屋で立ち読みしてたんだけど、すごく面白くて新鮮だった。5+7をさくらんぼ算でやるとか。さくらんぼ算なんて初耳なんだけど。

 

 ・逃げたい娘 諦めない母

逃げたい娘 諦めない母

逃げたい娘 諦めない母

 

 話題にあがる毒親系の本。母親とは最近仲良くなってる気がするけど、実家暮らしだとやっぱり制限もあるし、窮屈にも感じる。母娘関係の本は一番読みたいジャンル。

 

 

他にもいろいろあるけど、全部買ってたらきりないわ~~~~~~

 

 

 

2017年は・・・

脱金欠のためにやったこと

 

・学内バイト申し込み

補欠からの採用になったので時給845円で頑張る。あんまり行く気がない派遣配膳バイトは1150円だったけど…

 

・試験監督アルバイトの登録

時給低いけど頑張るよ…飲食が苦手なのでましかもしれない。やってみないと分からないけど。

 

・テストモニターのアルバイト登録

試験解くだけいくらもらえたっけ?!でももらえるならいいうや!(やけくそで誤字)

 

・なるべくお金を使わずに11月を終わる

 

バイトなんにも始まってないからこれからなんだな!!

 

 

2017年3月には住み込みバイトをしに関西方面に行きたいと思っています。リゾバだけど、前からやってみたかったし、実家にずっといるのも窮屈なので。もう無給インターンはやらん。

関西圏に行ってジャニーズWESTの番組を見るのが夢。ははは。ヲタクごとな。

 

留学資金、最低でも50万は貯めておきたいな。アメリカとかと違って、ドイツは二分の一くらいの費用でできちゃうけど、それでも最低40万はかかるから貯めなきゃね。。

 

お金ためるぞ~~(か細い声)

 

 

 

 

医者は誰と向き合ってるの?

今日、病院行ったんですよ。

 

学校終わって45分かけて最寄り駅につき、診察時間まで本屋で本を物色。

 

6時40分の診察。5分前には到着して診察券と保健所を用意。

いざ入口につく。

 

めっちゃ混んでる。なんで。いつもより混んでる。忙しそう。とりあえず診察券と保健所を渡し呼ばれるのを待つ。

 

6時40分はとっくに過ぎたがひたすら待つ。まぁどうせすぐ呼ばれないだろうと思う。待つだけの心の余裕はあった。医療脱毛をしたい人が溢れていた。

 

20分が過ぎた。遅いときでもこのくらい時間がたつと呼ばれる。だが今日はなかなか呼ばれない。「あとどのぐらいかかりますか」そう聞こうと思った。でも、聞くのメンドクサっと思ってもう少し待ってみることにした。

 

もしかしたらもうすぐ呼ばれるかもしれない。

 

30分たった。まだ呼ばれない。時刻は19時10分。遅い。どうしよう。聞くか。若い男子2人組も長く待っているようで片方は寝てしまっていた。予約の意味ないじゃんか。

 

結局聞かず、スマホで語学の勉強をちょこちょこやって時間を潰した。40分後、やっと呼ばれた。(遅い)

 

診察にかかった時間は5分程度。様子見みたいな感じだから短いのも分かる。ただ今日は待たされた時間が長く自分もイライラしていたので、担当医に対する返事も適当に済ませた。

 

薬を買って、次回の予約をして帰る。もう時間は8時近くになっていた。今日は9時には寝たかったのに。

 

 

今の病院には高校3年から通っている。

看護婦も丁寧で担当医のおじちゃんは詳しく説明してくれてすごく良い病院だと思った。今でも丁寧さは変わらない。担当医も優しい。

 

ただ、ちょっとしたミスが多い。

薬を入れた袋に書いた自分の名前が間違っていたことがある。

同じ青系統の薬のパッケージが2つあって片方は胃薬でもう片方は抗アレルギー薬である。一度、胃薬と抗アレルギー薬の量を間違えて処方された。きっとパッケージが似てて気が付かなかったのだろう。重大なミスである。飲む前に気づいたからよかったものの、そのまま服用していたらどうなっていたのだろう。

他には診療時間を勘違いされていたりもした。

予約しても診察時間に始まることはあまりない。

 

初診から3回くらいは母親と一緒に病院へ通った。自分でもなったことない病気だったし、血液検査の結果も聞くために一緒に通った。

 

今は一人で通っている。母親は来ても来なくてもどっちでもいいし、大学生になってまで母親と来るのもみっともない気がして一人で通うようにした。

 

オフィス街にある病院のため、会社帰りの人や大人が多い。私のような大学生はめったにいない。

 

母親と一緒に来なくなって感じるのは「子供だからちょっとぐらいいっか」というような病院側の雰囲気である。対応をあからさまに雑にされたりということはない。丁寧にしてもらっている。ただ、一人で行くと看護師さんたちは少し安心したような楽そうな印象を受ける。そんな雰囲気を感じる。

 

私の母親がクレーマーなわけでもない。理不尽なクレームなんてつけてないし、挨拶もお礼もちゃんと言っている。

 

ただ、私は少し違和感をおぼえる。大学生は子供というには当てはまらないところもあると思うが、何だか「今日は子供だけだ。気が楽だ」という雰囲気を感じ取ってしまう。それが少し悲しい。

 

前に通っていた病院もそうだった。

そこは予約制ではないため、朝から大勢の人がいる。女医さん(院長)が担当してくれた。やっぱり人が多いため、対応は「とりあえず人をさばく」ことにしか意識が向いていないように感じた。不安な気持ちを抱えてきた身としては、なんともあさっりとした対応で唖然とした。この時も初診で母親と行った。

 

3回目からは一人で行った。受付の時から違和感は感じていた。妙に優しいのである。そして女医さんも、看護婦の人も妙にいい笑顔をしているのである。ものすごい違和感を感じた。なんでこんなにこの人たちは笑顔なんだろう。親がいないからかなと思った。不気味な笑顔だった。「一週間後にまた来てくださいね」と言われた。違和感もすごかったし、診察対応に満足できなかったのでもう行くことは無くなった。

 

思い出してみると、眼科の代診医も診察が「さばく」ことしか頭にないような態度だった。一回も目が合わないのである。こちらが相手の目を見ても一度も合わない。おかしい。コミュニケーションがとれない。30秒程度で終わってしまった。ほんの少し悲しくなった。一度院長に診てもらった時があった。丁寧だった。

 

今の病院の担当医のおじちゃんはあまり「さばく」という感じはしない。ただ、薬に頼りきっているのかなという感じはする。

 

「今薬をやめると悪化するから続けよう」と言われる。薬を飲んでも症状が悪化していたこともあるんだけどほんとにやめたら悪化するのだろうか。

 

薬を途中でやめたことがないからどうなるのかはわからない。悪化した人を何人も診てきての判断なのかもしれない。何を根拠に悪化するからというのかわからないが、きっと薬をやめて悪化したデータや経験が多いのだろう。

 

でもそれは本当に患者を診ているといえるのだろうか。医者たちが見ているのは、データだけなのではないか。同じようなデータが多く集まれば信憑性は高くなるかもしれない。でもデータ越しに患者を診て、本当に患者と向き合っていないと思う。いつの間にか患者にあらわれている「症状」だけを見て、その「症状」を治さなければいけない悪いものと捉えている感じがする。病気を治したほうがいいのはわかるが、体の症状だけを診ていると、「病気=悪いもの」とだけ考えてしまうのは厄介である。いつだったか保健の教科書に「体と心はつながっている」と書いてあった。患者に表れている症状は、もしかしたら心のSOSかもしれない。ストレスが溜まって精神面が不安定になり、体調面にも影響を及ぼす。そういう可能性だって十分にあるのではないか。心と体がSOSを出していると考えれば、診断内容も変わってくると思う。この症状が出るのはこういう病気だからこの薬を飲みましょうという診断ではなく、最近無理していることがないか、ちゃんと食事はとっているか、ストレスをためていないか、休むことをしているかなどほかにも聞くことはいくらでもあると思う。実際には一人にあてられる時間は限られているために、カウンセリングのようにじっくり聞くことは難しいと思うが。

 

 

 

今日の帰り道は何だか違和感だらけで、ちょっぴり悲しかった。

 

オラ、リア垢さやめるだ!!!!!

リア垢さやめるだ~!!!!(Shouting)

 

やめる宣言。ででーん。

 

やっとやめる踏ん切りができたからブログに書いておこうと思う。

 

 

やめようとおもったきっかけは、この間ある本を買ったんですー。

 

 

スマホの5分で人生は変わる

スマホの5分で人生は変わる

 

 

 ネットサーフィンしてたらたまたま見つけて買いました。(例の丸善で)

レビューも良かったし、自分でも珍しくkindleで無料ページ読んだらすんごいほしくなっちゃって。

「なんか、最近スマホみてるし、これ読んでヒント得られたらいいな~」って思いました。

本を紹介しつつ、私のスマホ事情について書いていこうと思います。

 

 

現代人は1日2~3時間スマホをさわっているらしい

もっと多い気がします。

朝起きてスマホ、通勤通学のなかでスマホ、ちょっとした隙間時間にスマホ、ランチの時間もスマホ、勉強疲れた~スマホ、帰りの電車でもスマホ、家に帰ってもスマホ、寝るまえにもスマホ

スマホに縛られてますね~私もですね~。

 

この本では、スマホをやめられない理由、なぜスマホゲームにはまってしまうのか、スマホ活用術、9ジャンルのおすすめアプリを紹介しています。

スマホにはまるやつはダメなんだ!!オラオラ!!」って感じではありません。

スマホをすることによって得られる快楽=心地よくなる刺激が何なのか、自分の成長につながるのか、つながらないならやめようよ、時間がもったいないよ」って本です。超ざっくりいうと。詳しくは実際に読んでみてください。すごくためになる。

 

私の例:Twitter

なぜTwitterを使い続けてしまう?

→他人(友達)が何をしているかを知れるから。面白いツイートをみたい(が好きだ)から。

→「いいね」がもらえるのがうれしいから。

→自分の知りたい情報アカをフォローすることで、重要な情報をすぐにキャッチできるから。

→新しいことを知れるから。

→リプのやりとりがたのしいから。

→評判調べに使えることもあるから。

→なんとなく。

 

まず、可視化することが大事なんですって。で、それを「この刺激は自分の成長につながっているのか」考える。と、

 

成長につながっている?

→他人(友達)が何をしているかを知れるから。面白いツイートをみたい(が好きだ)から。

→「いいね」がもらえるのがうれしいから。

→自分の知りたい情報アカをフォローすることで、重要な情報をすぐにキャッチできるから。

→新しいことを知れるから。

→リプのやりとりがたのしいから。

→評判調べに使えることもあるから。

→なんとなく。

 

Twitterの検索でたまたま引っかかった美術館の展示を見に行ったり、あ、これ行こうとか食べようとかなったりすることがあったので、それだけ〇にしました。まぁ多くはないですけどね。ん~どっちかというと△かな~まぁいいや。

 

たしかに考えてみると、ただの暇つぶしになってる感は否めないし、その時間あれば勉強とか自分のがんばりたいこと・好きなことに費やした方が絶対いいですよね~。

 

 

私のリア垢って、小中の友達はほとんどフォローしてなくて(5人くらい)、高校の同級生が圧倒的多数、ちょろっと大学の友達なんですよ。高校の友達は好きな人が多いんでいいんですけど、中には顔と名前しか知らない人もフォローしてて。正直言うとそういう人のツイートとかどうでもいいんですよね。でも外すにも、外した後に相手が気づいたら「あ、外されてんだ」と思うだろうし。その人が気にしない人ならいいんですよ。ただ、フォロー外された関係が残る感じかなんか嫌なんですよね。

私もフォロー外された人の立場になったことあるけど、外した人を見るとどうしても、「あ、わたしのフォロー外した人だ」しか残らないんですよ。自分だけ外されてるとちょっと悲しくもなる。「あ・・・そうだよね、特に関わりないもんね・・・」って。

Twitterはつながってるけど、話したことない人」って、Twitterの相互外れたのに気付いた段階で「Twitterつながってたけど、外した人」だとしか思わない。その人のほかの印象が第一に出てこないんですよ。なんかそれって悲しくないですか。私がそういう考え方するだけなのかもしれないけれど、私は悲しいです。

 

それと。画面上の人間関係めんどくさくないですか。一回事件があったんですよ。たいしたことないけど。ジャニヲタの友達とリプ送りあってたんですよ。今までカッコいいなと思ったジュニアを言い合ってたんですよ。ちょっとふざけた感じで。そうしたら、出たんですよ。空リプで「お新規DDそろそろうるさい」って。13文字!!!!は???!!お前だれやねん!!!!お前もDDやろ!!お新規もおまえやろが!!!なめとんのか!!??なめるのは飴だけにしとけッ!!

(※お新規=ファンになりたて DD=だれでもだいすき)

なんてリプ送らないですけど。リプが続いて長かったのは確かです。でもならミュートにすればいいじゃないですか!!!しかも空リプって何なんですか!!?察しろってことですか!!!?

わたしゃ傷つきましたよ!!!13文字で!!!!たかが13文字!!!そこで会話は終了しました。その子のことブロックしてブロック解除して相互フォロー外しましたよ。私はまだブロックされてるけど!!私はブロックしてないけどね!!

その後私は何もないのですが、いっしょに話してた友達は、反撃空リプつぶやいてみたりしたら廊下で睨まれたりしたそうです。

他の友達に聞くと、隣にいるのにTwitterで悪口かかれたとか、明らか自分に関するツイートされたりとか、あ、私も不満をTwitterに書かれたことあったし、それを「書かれてるよ」って言ってくる人もいたし。

そういう画面の中の人間関係めんどくないですか。リアルな世界の人間関係もめんどくさいことはあります。でも画面の中は顔が見えないからなんか怖い。

 

それとTwitterに限らず、友達といるときにスマホみてる人多くないですか!!一番いやなのが、食事中にスマホ使う人!!食べることに集中せいッ!!ほんと不思議に思うんですよ、そんなに見る必要あるか?なにか重要な連絡待ってて気になるとかなら仕方ないと思いますよ、ちょっとラインとかメールの返事したり、「こんな面白いのがあってさ」ってスマホだすのは全然ありですよ、ええ、でもことあるごとにスマホばっかり出されるとすごく悲しいですよ。こっちは。私といるの楽しくないかなって思っちゃう。せっかく時間とお金をあなただけに割いてるんですよ、いっしょに笑ったり、楽しいことしたり、話したりしたいじゃないですか。でも返事までスマホの画面にされるとすごい悲しいんですよ。目の前に私いるのに、そんなに画面の向こうの人たちが気になりますか。沈黙の時間そんなに嫌いですか。2人組のカップルの片方がスマホに夢中で、もう片方の人の「つまらなそうな顔」見たことありますか。私はあります。なんか重くなってるのでやめます。

 

あげたらきりないんですけど、やっぱりめんどくさいことも多いんですよ。そんなことに悩んでる時間ももったいないなと。

 

Twitterが悪いんじゃなくて、そういうリア垢のめんどくささに時間を消費するよりも、自分の成長につながるようなことをしようと。例えば自分にとってためになるアカウントをフォローしたりとか、うまくTwitterを「コントロールされている」側から「コントロールする側」に変えよう。自分を成長させるツールとして使おう。さっきの本にかいてあることはこんな感じのことです。Twitterで考えてみると。

 

SNSのプッシュ通知と依存の関係性

 

要するに、反応しないことが重要なのです。

 

自ら意図的にブロックしていかないと、スマホは手軽ゆえにどんどんあなたの時間と思考をも奪っていきます。

スマホの5分で人生は変わる

 

今までもSNS断ちとか言って、リア垢見るのをやめようとしてました。でも中途半端だったんですよね。見たい人のは通知設定すればいいか、ログアウトだけして、サブのスマホでは見れるようにしようとか。でも気になってしまうんです。

 

もうほんとにアカウント消して自ら意図的にブロックしないと、また時間を無駄に消費してしまいます。私は特に!!

 

なのでこれからリア垢消してきます。3年間ありがとう!!リア垢!!そして自分の成長につながるようなTwitterの使い方をします!!

 

おわり

 

(就活について思うことがあるんだけど)

堅くしすぎず、めっちゃゆるく書こうと思います。

(たぶん800字くらいにおさまるはず)

 

 

あのですね~今日、大手町駅近くにある「丸善」に行ったんですよ。

本屋なんですけど、行ったことある人は分かると思うんですけど、あほみたいにデカくて広いんです。本棚とかが6段くらい重なってて、天井にぶつかってるんじゃないかと思うくらい。(上の本とかどうやってとるんだよと思いながら)

 

で、ビジネス街なんで、多いんですよ。ビジネス系の本とか自己啓発とか。自分は自己啓発系けっこう読むの好きなんで、品ぞろえやび~!!ってちょっと興奮してました。

 

1Fに就活本コーナーがあったんで、「就活か~職種とか業界とかわっかんないな~」なんて思いながらパラパラ流し読みしてたんですよ。

 

思うんですよ。読んでて。

 

 

なんにもピンとこねぇ………(スマイル;)

 

いろいろな職種の詳細も読むんですけど、「なんかつまんなそ~(ポイッ)」って感じのテンションで読み飛ばしてて。

 

結局面白そうな仕事ないな~なんて思って帰りました。

 

 

 

働いている人=キラキラしたイメージが変わったのはいつから?

 

ふと、幼いときに将来何になりたかったか思い出してみました。

 

保育園時代…花屋さん→自転車の後ろに乗っていた時に花屋さんを見て「手伝わなきゃ」と思った。今考えると謎な動機。

 

小学校時代…漫画家、芸能人→漫画家は絵を描くのが好きだったから、芸能人はヘキサゴン(懐かしいですね)を見てテレビにでたいと思ったから。

 

中学時代…保育士、ドイツ関係の仕事、塾講師→子供が好きだったから。のちに職場体験で私立の幼稚園で仕事を体験し、向いてないとあきらめる。このころ、某ジャニーズグループのドイツ人とハーフのメンバーのファンになり、ドイツ語を独学。(握手会でドイツ語話せたらいいな~くらいの感覚)漠然とドイツ関係の仕事(外交官?)に興味を示す。塾講師は中3の夏に恩師ともいえる人に出会ったため、自分も同じような塾講師になりたいと思う。

 

高校時代…ドイツ語関係、日本語教師、教師、塾講師、旅行関係、観光→教育に興味を持ち始める。イギリスの修学旅行がきっかけで、日本の良さに気づき、海外に日本をアピールする仕事がしたいと思う。(漠然)

 

大学時代(現在)…就職わかんないうお~~~~~~~~~~。

 

 

 

大学時代以前は、働いている人ってすごくキラキラ輝いて見えたんですよね。スーパーのレジ打ちの人さえ「すごいな~自分もアルバイトするならレジやりたい!」なんて思ったこともあったし。

 

純粋なだけだったのかな?

 

いまは働いている人ってなんだか暗いネガティブなイメージがある。それは、就活のイメージがあるからかもしれない。何でかは分からない。でも少なくとも、一斉にみんな髪を黒くして、リクルートスーツを着て、たくさん説明会行って、面接受けて、お祈りされたりもして、週5で働いて土日にストレス発散!ってイメージなんだよな~。すべての働いている人が当てはまるわけじゃないのは分かってるんだけど、なんだか将来を考えるとどよーんとした気分になってしまう。

 

幼いときは、〇〇屋さんになる!って思うことが多くて、小学校のお楽しみ会ではケーキ屋さんとかアイスクリーム屋さんとかやってすごく楽しかった。

 

早く大人になって働きたいな~とか思ってたし。たまごっちのプチプチお店っち、めっちゃ楽しかったもん。

 

いつからなのかな~イメージが変わってしまったのは。今からガッツリ就活対策する気もないし、でも自分の将来のことはちゃんと考えなきゃと思うんだけど。

 

今日、丸善に行ってから頭の中がふわふわした感じで、ぐるぐる考え続けるのも変な感じなので、ここで吐き出しておこう。

 

気持ちを切り替えて、、、

 

 

あしたは日光に行ってきます!

 

 

おわり

 

(1500字でした…)