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ザフトさんのブログだよ

自分自身と向き合うためにブログやってます。

真面目な性格についてただひたすらに語る。

あなたは「真面目」だと言われたことがあるだろうか。

 

私はこれまでの人生で何度も「真面目」だねと言われたことがある。これは私の長所でもあり、短所でもあると思う。

 

そんな「真面目」という言葉と生きてきた19年の人生でいろいろ思ったことを書こうと思う。

 

 

私は「真面目」という言葉にマイナスイメージをもっている。もちろんポジティブなイメージもあるが、9:1くらいの割合でマイナスイメージしかない。

 

なぜこんなにマイナスイメージが占めてしまっているのか考えてみた。そしてある一つの結論が出た。それは「真面目」で得をした経験がなかったり、周りの価値基準で「真面目」という言葉を理解していたのだと思う。

 

「真面目」で得をしたことがあるのか考えてみた。すぐに思いつかなかった。かろうじて成績表に真面目に取り組んでいると書かれているくらいだった。

 

私の中ではやはり「明るい」とか「元気」の方が得をしているイメージがある。明るさや元気は周りの人にいい影響を与える。バイトの求人募集では、明るくて元気な人を募集しているし、実際接客されて気持ちがいい。時に明るさや元気さが「うるさい」につながることもあるだろう。でも、明るくて元気なことはたいていの場合はプラスに働く。自分だけでなく、周りも。

 

「真面目」は何か得になることがあるだろうか。きちんと仕事をする、約束やルールを守る、一つのことにキチンと向き合う。思いつく限りあげた。もちろん得をすることもあると思う。ただ、私はどうしても「真面目」というものに対してプラスのイメージを多く持てない。

 

ネットで「真面目」と検索すれば、「おもしろくない」「融通がきかない」などのマイナスイメージがついてまわる。それに「真面目」じゃない人に利用されたりもする。

 

「真面目だね」

 

この言葉を肯定的にとらえることが未だにできずにいる。雰囲気では肯定的に言ってくれる人が多い。本音は否定的な意味で言った場合もあるとは思うが。

 

中学校の卒業アルバムの寄せ書きで、ある先生が書いた言葉がある。

 

「いつも真面目な〇〇さん、すこしは休息を・・・」

 

疲れているように見えたのだろうか。カチカチだったのか。正直嬉しくはなかった。

 

高校の時に古文の先生がつくった活用プリント。大量に問題数があるから手を付けない人が多かった。でも私は全部やっていた。その埋まったプリントをみて先生が「真面目すぎる!」と言った。私には真面目すぎるの意味が分からなかった。

 

小学校のころ。授業中に発言をたくさんしようと先生がみんなに言った。発言カードも配られて、何回発言したか記録させられた。私は発言が苦手だった。1回してしまえば、次も手があげやすくなる。でもその1回になかなか勇気が出なかった。でも頑張って発言しようと思って、授業中に手をあげることを試みた。だいたいの授業で必ず1回はあたり、多いときは3回発言できた。

しかし、あるとき、いつもやる気なさそうで「真面目」に授業を受けていないクラスメートが発言するようになった。すると先生は珍しく発言する気になっている生徒を何回もさして、もともと頑張って発言していた生徒をさす回数が減った。なんだか報われない感じがした。はじめから頑張っている人より、あとから頑張り始めた人の方が好きなのかなとも思った。その先生からの評価も「真面目」だった。

 

多分私は、まわりの「真面目」という評価を、馬鹿真面目に受け取りすぎているのかもしれない。そして馬鹿真面目に受け取って出来上がった真面目すぎる性格のせいで、いまこんなにも「真面目」ということについて悩みだらだらと文字を打っている。

 

周りの人が「真面目」と評価する私の行動は、私にとっては普通のことだった。ルールを守るのも、宿題をやってくるのも、授業をちゃんと聞くのもすべて普通のことだった。普通というと少しニュアンスが違うかもしれない。「真面目」と評価された私の行動は、ただ私がやりたいからやっているというのも含まれる。

 

「真面目」と言われて得をしたこともはっきり思い浮かばないし、むしろ利用されたこともある。お堅いイメージをもたれたりもする。暗い、地味。そんなイメージしかわいてこない。

 

そもそもこんな「真面目」ということを悩んでいるのが馬鹿らしくもなってくる。「真面目」な人は必要とされているのだろうか。それよりも「明るくて元気」な人の方が需要があるように思える。「明るくて元気」と言われたら誰でも誉め言葉として受け取るだろう。でも「真面目」はどうだろうか。

 

すごく暗い記事になってしまった。というのも、アルバイトの合否連絡が指定された日にち(今日)に連絡されるはずが来なかったことから始まる。私は朝からケータイとメモをセットにして、いつでも出られる準備万端の状況で待っていた。途中昼寝をするときにも、枕元に置いていた。でも来なかった。なんかセットしていた自分が馬鹿みたいに思えた。そこから変に「真面目」について考え込んでしまったのである。(苦笑)明日また電話してみようと思う。

 

今日は急に真面目について考えて一人で悩んで落ち込んでブログに書きこんでいるのでもうなにをかいているのか分からなくなっている。もう終わりにして寝よう。

 

こういう風にどうでもいいことまで説明しようとするところって真面目すぎますかね。

 

大学の友人関係が楽すぎるってハナシ。

書きたくなったから書く。

 

明日ドイツ語の口頭試験だし、レポート書いてる最中だけど急に衝動に駆られてしまった。

 

 

大学の友人関係が一番楽

ピンクにした。

 

ふと思ったんだけど、大学の友達関係が一番楽じゃない?少なくとも私はそう思った

(通っている大学とかによって変わってくるとは思うけれども)

 

小中高はみんな決められたクラスがあって、せまーい教室の中でみんな授業受けてた。

なんかすごい窮屈だったなーと思う。

 

ハロウィンになるとお菓子パーティー、クリスマスもお菓子パーティー、バレンタインはクラスの女子と先生に向けてチョコを作りまくる。もちろん先生は9割お返し目当て。残りは日頃の感謝()

 

誰かが誕生日なら、サプライズをやってみたり、コンビニでお菓子買ってマジックでメッセージ書いてあげる。当然あげる子もいるしあげない子もいる。でもなんかあげないといけないような雰囲気。

 

行事が終われば打ち上げ。これがつまらない。たぶん高校3年間で2回しか行ってない。

 

勉強も受験のためだったし、将来やりたいことなんてなくて「は?」状態だったし、クラス1位とかとっちゃうと変にプレッシャー感じちゃって自分を追い込んじゃったり。

 

中学時代は男女の溝が恐ろしいくらい深くて、悪口が絶えないし、怯えて学校行ってた。平和でありますようにとか祈ってたな(笑)

 

いろんな人からラインでプリント見して、宿題の写メ送って、とかも来たなあ。しみじみ。

 

でもまぁ小中高それぞれ、その時にしかできない楽しみもあって、なんだかんだ楽しい寄りの生活だったね。

 

でも大学は違った。良い意味で。はじめは5月病になったぽくて、

 

大学つまんねー、やめたい、無理、なんにもやる気でない、なんにも楽しくない、ぼっち怖いとかずっと思ってた。

 

でもその時間があったからこそ、大学時代にするべきことを一人でずっと考えることができた。目標もできた。

 

小中高時代はいい意味でも悪い意味でも、「みんな一緒感」が強くて、周りの目がすごく気になってぼっち嫌とか思ってたけど。

 

大学は良くも悪くも一人でやらなきゃいけないことが多いし、そのたびに自分で考える癖がついた。自分はどうしたいのか。結局周りの人が自分の期待どおりに動いてくれるなんてのは珍しいし。

 

小中高時代の「友達基準」の行動選択は、大学に入ってから「自分基準」になっていると思う。

 

行きたいところがあれば一人で行くこともある。私は結構マイナーなものに興味を示すタイプだから誘ってもあんまり興味ないかなって思って一人で行っちゃう。

 

なにかあったらまず本とかネット使って調べたりもする。

この前、定期試験で論述を書くのがあって。試験前日に、「まじわからない。助けて。」ってライン来たんですけど、ぶっちゃっけ何助ければいいんだって話じゃないですか(笑)すぐ人に頼らないでまずは自分でやってほしいなと思いました。結局助けないで「大変だよね~」でスルーしました。脱線しました。

 

大学の友達はすごくさっぱりしてて穏やかで、めんどくさくないので好きです!!今までクラスメートに頼られっぱなし(利用されっぱなし)で結構息苦しかったけれど、今はそれもなくなってすごく楽。

 

この3行が書きたかっただけなのに、すごく遠回りしてしまった。

 

大学に入って、自分で考える癖がついてきたし、がっちりクラスで固められてないのでなんだか自由を感じます。

 

おわりどころも分からなくなってきたし、あしたのこともあるので、このまま清々しい気分で終わります。

 

 

もしあのビルがなかったらもっと夕焼けを見れたかもしれない

今日、電車に乗った。

というかほぼ毎日乗っているが。

 

いつも乗る電車は、はじめは地下を走っているけれど、途中から地上を走って大学まで行く。帰りの電車は逆だ。

 

スマホの画面と向き合いながら、ふと顔をあげた。

そうしたらすごくきれいな景色が広がっていた。

 

電車の窓から見た景色は、右側の空が薄い水色で灰色の雲がもくもくしていた。

それに対して左側は鮮やかで、でも主張しすぎないオレンジと黄色の空だった。すこし紫色もまじっていた。

 

ふと顔をあげたその時に見えた景色に心が奪われたようになって、いつのまにかずっと眺めていた。片手に握っていたスマホはカバンの中にいれた。

 

もしずっとスマホをしていたら気が付かなかったと思う。

 

 

すごくきれいだなぁと見ていたら、気になることがあった。

それは、周りの建物が邪魔をしてきれいな夕焼けが隠されてしまっていることだ。

 

もっと見たい、あのビルの後ろにある空はどんな色なんだろう。

 

そう思っても、ビルをどかすことはできない。

 

そんなもやもやした気持ちのなか、ある歌を思い出した。

 


赤いやねの家

 

小学校の時に歌った歌。

小学生にもわかるような切ない歌詞と、なじみやすいメロディーが大好きだった。

 

前に住んでいた赤い屋根の家が、電車の窓から見えていたのに、いつの日かビルの裏側に隠されて見えなくなった。

 

切ない。

 

夕焼けの空を見ながら、この歌を思い出して、なんだか懐かしさと切なさの感情に挟まれてしまった今日の帰り道だった。

 

 

そのあと電車は地下に入って、もう窓からの景色は見られなくなった。

 

 

年が明けたから目標とか書いてみる

あけましておめでとうございます。2017年です。

年が明けたんで目標を立てようかなと思います。

 

 

目標①ドイツ語を上達させる

長期留学を視野に入れているので、ドイツ語をもっと上達させます。

今年の6月に独検があるみたいなので、それを受けようかな。

学校で独検3級レベルの文法を1年かけてやっているんですけど、単語力が少ないので冬休みに一気に覚えようと思います。

あとはhellotalkで添削してもらったり、ドイツに関する動画をYouTubeで見たりして、楽しく語学勉強したいですね。あ、ジブリをドイツ語で見るのもいいかもしれない。

 

 

目標②英語を勉強しなおす

高校時代と比べると英語力がガクンと落ちてます。でも何かと英語を使って理解したいこととかあるし、英語を手段として使えたら便利だなって場面が結構あるので、勉強しなおそうと思います。

hellotalkでもドイツ語の言い方が分からないときとか英語使って質問するし。(その時に英語でなんて言うかわからなくて苦労してる)

ただ、文法書とか使って勉強するのが苦痛です。もっと文化とか習慣とかを知りながら勉強するほうが楽しい(経験上)と最近分かったので、そうやって勉強していこうと思います。

どうしても今までの英語学習は完璧を求めすぎてしまうので、注意したいです。(なぜかドイツ語にはおこらない)(多分受験のせいかな)

 

 

目標③アラビア語を学ぶで!

いきなり語学3連発。もう一言語学びたいな~と。

いろいろな言語に興味あるんですけど、大学で学べるものに限定してます。

マイナーな言語で、あの不思議な文字を書けるようになりたい!っていうのも一つの理由です。

他の理由は、受験前にイスラム国がニュースに上がることが多かったんですね。それで、難民の人たちが命を懸けて逃げる様子とか、「イスラム教徒」であるだけで非難されたりしているのをよく見ました。その時ちょうど世界史がイスラーム圏だったのもあって、イスラムってどんな感じなんだろうとか興味を持ちました。言語を理解すると、その国の文化とか考え方も理解できるので、実際に学んでみようかなと。

あと、もし機会があれば、ドイツ留学中に難民の現状をこの目で見たいと思ってます。難民の助けをするためにアラビア語を学び始めたドイツ人の人もいると聞いたので、ドイツに留学しているときにそんな機会があればと思ってアラビア語を学ぼうと思っています。

まぁ、時間割合わなかったらどうするかはあとで考るとする。

 

 

目標④料理をもっとする

最近料理に興味があるので、料理番組とか見たり、母と一緒に料理したりしています。

でも、だれの手も借りずに1から作ったことないんですよね。食材を買うところから始めたいな。はは。ほんとは野菜とか育ててみたいけど。

あと、体にいい、優しい料理を作りたいです。和食も極めたい。お菓子も作れるようになりたい。~したいばっかりですね。

気になる本もたくさんあるんで買ってみます。

 

 

 

とりあえず今の目標はここまでです。

2017年もよろしくお願いします。

日本人が英語ができない理由を考えてみた

もう最近ブログに書くことも無くなってきてたんですけど、ちょっと久々に書きたいネタができたので書きます。

 

最近、hello talkっていう、語学アプリ入れたんですね。私は日本人でドイツ語を学んでいる人。逆にドイツ人で日本語を学んでいる人とのSNSっぽいやつ。(語学は中国語でも英語でもなんでもあり)

 

自分が何人か設定して、学んでいる言語を選択すると、その学んでいる言語の人(母語)で日本語を学んでいる人の投稿が見れたり(というか自動的に流れてくる)、実際に添削してくれたり。

 

ちょっとTwitterぽい感じ。なかなか使えて今のところ出会い厨もいないっぽい。英語だと出会い厨ぽいのが多いと聞いたこともあるけど。

 

で、そこでドイツ人の人が、何で日本人は英語ができないのかについてすごく熱く?語ってて。

 

「まちがえてもいいんですよ」「文法は気にしないでください」「日本人はシャイだ」とか書いてて、あ~あてはまるわ。っておもったけれども。けれども!

 

私はもっとその奥に、日本人独特の雰囲気とか空気が影響しているんじゃないかと思うんですよ!!

 

日本人はシャイで、まちがえちゃいけないって思っているのも確かにそうなんだけど、もっと根が深い気がするのは私だけ?

 

まずはこの動画をみてほしい。


なぜ日本人は英語ができないの?

 

この動画をみながら、グサリときたり、共感もした。まじで。ここではメディアの影響をあげているけど、学校にも当てはまることが多かったから学校の場合で書いていきます。

 

 

英語できないと決めてつらい気持ち抱えてる人多すぎ!

学校で少し英語ができると、テストでいい成績をとると、すごく過大評価しますよね。「すげー!」「天才!」とか。英語は才能がある人しかできない。自分は才能がないからできないと思い込む。

 

わたしも中学時代に英語が大嫌いだったんですごく気持ちが分かります。なんで海外行くわけでもないのに英語を勉強しなくちゃいけないのか。そんなんだったら日本にずっといるわい!!プン!って思ってました。

 

でも受験があるから「仕方なく」英語を勉強する。途中で洋楽の歌詞の意味を知りたいから意欲的になったときもありました。

 

塾に通いはじめて英語が少しわかるようになって嬉しかったんですけど、出来なさ過ぎて授業中に泣いたこともあります。

 

でも努力の甲斐あって、最後の方は「テストの点が取れるようになって」英語の苦手意識がなくなりました。

 

高校に入学してからはテストの点(特に英語)も良かったので、周りの人から私は英語ができる人と思われました。だけどこれを変に受け止めていました。

 

waiwaijw.hatenadiary.jp

だいぶ前に書いた記事なんですけど、ここにもあるように、ほかの人からは私は「英語ができる人」と思われていて、「すごい!」とかめちゃめちゃ言われたんですよ。でも自分自身はすごいとか思ってなくて、中学時代の塾には自分より上の人はたくさんいたのを知っているし。

 

テストの点だけで英語ができると思われてしまったのです。「すごい!」の言葉と一緒に言われる言葉が「おれ(私)なんか全然できない」「(私)とは違うからさ」という”あなたとは違って私は全然できません”っていうメッセージ。

 

……めっちゃ気使うんだけど!(困り顔)

そんなことないよっていうと、「いやいやいや」と言われて点数見せられて。

いやいやいやコメントできないって!点数悪いねなんて言うわけないし!自分も英語苦手な身だったから、いっしょにやっていこうくらいの気持ちだったけどなー…と。

 

”あなたとは違って(私はできない)”って言われたときの疎外感。なんか自分ここにいない方が良かった?と思ってしまう。

 

でも、そういう人たちを責めるつもりも、もっと頑張れ!というつもりも無くて。

わたしも未だに英語には苦戦してるし、出来ないと泣きそうになるし、出来る人を見て「あの人みたいには無理だ」って思うこともあります。

 

私は、そういう風に思わせてしまう「環境」があるのが、日本人が自分は英語をできないと決めつけたり、できない理由だと思います。

 

 

①なんか英語の発音が良いと馬鹿にする空気

 

これ中高とあったんですけど、おんなじ空気だった人いません!?

例えば「りんご」という単語を読むとしたら

「アップル」←そうだよね

「アポ―」←何で発音良いんだよwwwww

 

みたいな雰囲気ありません!?

ネイティブっぽく発音すると、馬鹿にされるような空気。英語の授業なのに「何英語っぽくやってるんだよ」という空気。

 

私はまんまとこの空気にやられてしまって、今でもネイティブっぽく発音するのが怖いし恥ずかしいです。カタカナ英語っぽい発音にしてしまっています。

 

この空気って、もうペラペラなくらい英語話せる子には起こらないんですよね。でも、ちょっと日本語が若干残っている英語に対しては小ばかにするような空気がありました。くすくす笑ったり。咳払いしたり。私はこの空気が本当に嫌いでした。

 

 

②間違えると怒られる

 

英語の先生にもよるし、英語の科目に限らずですけど。なんか間違えるとすごく怒る先生っていますよね?!

 

「それはちがう」「なんでこんなもんもできねぇんだよ」「だからー!!」「バカじゃねぇの」とか。

 

せっかく勇気をもって発言したのに、どうして怒るんですかね。こんなんじゃ、発言しようとしても怒られるのが怖くて手が上がらなくなりますよ。実際私も、怒る先生がいると手が上がりません。恐怖です。

 

高校の英語の先生は、間違いが多いとすごく機嫌が悪くなる人でした。顔の表情が不機嫌顔だし、チョークに力込めて黒板がバンバン音がするくらい力任せに書くし。みんな怖くてうつむきながら授業受けてましたよ。

 

 

③間違えちゃいけない

 

授業で、一人ずつ当てて答えるときありますよね。

みんなずっと正解している。

自分の番になって間違える。恥ずかしい。

今度は恥ずかしい思いしたくないから、自分が当たりそうな問題を予想して、友達に事前に聞いて答え合わせしてみる。

答えがあっている。セーフ。

 

みたいな。やっとことある人多いと思うんですけど、どうですかね?

大学ではそうでもなくなったんですけど、新しい単元で間違いが出てもおかしくないのに、異様に正解率が高くて、自分間違えたらどうしようって思ってました。

 

さらに高校時代は、けっこう簡単な問題で私が間違えた答えを言ったんですよ。そうしたら、先生が「…( ゚Д゚)…」って顔してて、「あ、この答え違うんだ」と思ってとっさに正解と思われる方の答えを言いました。

 

今考えるとすごく不思議なんですよ。なんで違う答え言っただけで、あんな驚いた顔されるんだろうって。

 

 

学校の環境を思い出せる限り思い出してみました。

こういう環境の中で勉強しても、英語は好きにならないし、出来るようにもならないと私は思います。

 

 

他にも、英語を使う機会が少ないとか、日本では英語なくても生きていけるとかいろいろあると思うんですけど、そこは割愛します。

 

英語を習い始めた小学校高学年くらいのときは、まだ楽しかったです。英語を使ってゲームしたり、英語話せたらカッコいいなとか、外国人と話したい!とか。なんかキラキラしてた。みんな楽しんでやってたし、馬鹿にすることも無かった。

 

でも、小ばかにする空気があったり間違ったことを言って責められたり怒られる環境の中、英語学ぶのは違うと思うんです。

 

どうして英語を学ばなきゃいけないのか?って聞かれたときに、「将来役に立つから」「英語は共通語だから」「外国の人と話せるから」「英語ができないと将来生きていけないぞ」とか。

 

いやいやいや、そういうのも分かるけどさ!!

 

「英語の歌詞が理解できるようになりたい!」

「かっこよく発音できるようになりたい!」

「外国の友達をたくさんつくりたい!」

「日本の文化を英語で紹介したい!」

「なんかペラペラになりたい!」

 

でもいいと思うんですよ。将来役に立つよって答えもいいんですけど、それだけだとあまりにも抽象的すぎる。

なんの役に立つんだよって。たぶん英語が嫌いな時にこの言葉聞いたら、今役に立ってることなんて一つもねーよとか思ってそうだなぁ私は。

 

 

高校の修学旅行でイギリスに行ったとき、英語を使う機会がたくさんありました。まぁ当たり前なんですけど、その時にすごくショックを受けたんです。

 

泊まったホテルの朝食バイキングで、パンケーキをお皿に乗せて、ソースをどれにしようか迷ってました。

 

店員「チョコソースと、メープルどっちが好き?(英語で聞かれた)」

私「…(やばい、英語でなんて答えるんだっけ…)」

私「Both…」

店員「HAHAHA!」

私「ははは!(良かった…)」

めっちゃ爆笑してた。でもショックを受けたのは、笑われたことじゃないんです。

 

「え、一言でも英語通じるじゃん!!」

 

当時、完璧に話さないと英語は通じないと思っていたので、すごくショックを受けました。学校では文法がちがうと間違い、スペルが一つでもちがうと間違い、間違えた英語を言うと怒られる、先生の機嫌が悪くなる。

 

帰国してから、英語の勉強に手が付けられませんでした。自分はなんで英語を勉強しているんだろう。一言でも通じるのに、なんで学校では完璧に答えないと間違いにされるんだろう。

 

受験で必要だという事実もあるので、文法を早く終わらせなきゃいけないとか、英会話に時間を多く割けないっていう現実があるとは思うんですけども。(ちょっと教育関係者でもないのでそこは詳しく知らないし、言及もできません。)

 

ただ、私が思うのは

あまりにも英語を勉強する環境が狭くてつらいものになっていると考えるのです。

 

なぜ勉強をするのかと問えば「将来のため」と抽象的な答えしか返ってこず、

ネイティブの発音を真似してみれば、小ばかにする空気を感じてカタカナ英語を意識、

間違った答えを言えば怒り責められ、

1つのスペルミス、文法ミスですべてが✖にされる答案。

なんで英語を勉強するのかを考える思考も停止し、ただひたすら受験のため、大学のために勉強をする。

英語を通して向き合うのは、人間ではなく、参考書や検定・資格。

 

 

なんか書いてて悲しくなった(笑)

 

なんかこういう環境が変われば、今まで以上に英語にとっつきやすくなると思うんですよね。でも今はまだどうすれば変わるのかを模索している最中です。

 

おわり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このエモい感情を吐き出させてくれ

ようやく大学も冬休みに入り、昨日は高校の友達数人と会ってきました。

今日、朝から勉強して疲れたと思って音楽聞いてたら、その歌詞がなんとも心にしみて、すごくエモい気持ちになってしまったので、ここで吐き出させてください。いろいろな気持ちがごちゃごちゃになってしまった。

 

吐き出すぞ(!)

 

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友達について。

Twitterやめたから、仲いい人も別に仲良くない人の情報も何も入ってこなくなった。

そのおかげで自分の時間が増えた。卒業してあっていない人や、SNSだけでつながっていた人などの印象は良い印象のまま、私の中でその人は終わっている。

逆にみんながどうしているのか、楽しくやっているのか少し気になる。小中時代の友達は気にならない。でも、高校時代の友達は仲がいい人が多かったから気になる。

卒業してまで気になってしまう自分はけっこう人好きみたいだ。

 

思えば、小中時代はつらいことが多くて嫌いだった。今でもいい思いはしない。ただ、9年間の間には楽しい思い出がなかったかと言えばうそになる。

でも、ほとんど思い出せない。思い出さないようにしているのかもしれない。いつの間にか嫌いな時間として私の中に封印されている。

 

高校時代は本当に楽しかった。でもつらいことも無かったかと言えばあるし、小中とはまた違ったつらさだった。でもそんなつらさにも蓋をして高校時代は「楽しかったもの」として私の中に残っている。

 

思い出はあとからいくらでも美化できる。逆に嫌な思い出だったと決めることも簡単だ。

 

おわりになってから、ほんとは楽しいこともあったはずなのに全てつらかった時代と決めつけていた。ほんとはつらいこともあったのに、全て楽しい時代と決めつけていた。

 

視野が狭いと思った。一つのことだけに視点を合わせて、それがあたかも全体であるかのように考えていたし、決めつけていた。もちろん、ほんとはあった楽しかったことやつらいことは、全体で見たら少ないことは確かだけれど。

 

 

それと、高校の友達がTwitterで、「大学をやめて1年間バイトでお金ためて専門学校に行く」ということをツイートしたらしい。そのことに対して他の友達がすごく非難(反対)していたのを隣で聞いていたんだけども。

 

私は正直、自由に生きればいいと思った。退学を決めるくらいだから、自分の人生に対して悩んで向き合ってきただろうし。友達が言う、「せっかく大学に入ったのに」や「専門はもっと拘束があるのに大学をやめてついていけるのか」とか「世の中そんなに甘くない」という意見には同意もある。

 

いまの大学生という身分で、社会のことなんてあまり分からないし、分からないものに対して恐怖もあるし。それに大学生特権を利用できるときにしたほうがいいんじゃないかと思った。(例えば図書館、学割とか)

 

でも、その子の人生は私には関係ない。こういうと、冷めて聞こえるかもしれないけれど逆にこの距離感が友達としての距離だと思う。

 

もし身内だったら、友達が言ったような心配や反対意見が出て当たり前だと思う。

でも、私は友達である以上、本人の人生だから本人の好きにしたらいいと思う。友達という立ち位置の場合、身内ほど深入りするつもりはない(というかできない)し、「なにかつらいこととか大変なこともあると思うけど頑張れよ」と応援したい。

 

 

そ、れ、と。

高校の友達と久々に会って別れるとき。なんだか急に、「今日で会えるのが最後かもしれない」と思ってみたら、すごく悲しくなってしまった。久々に会ったからかもしれないけど、別れ際はなんだか切なくなってしまった。

 

会っているあいだは、高校のときの雰囲気が懐かしくなって楽しかった。でも、楽しい時間も終わると、今度は同じ高校の時の気持ちではなくて、今、大学生としてのわたしとして過ごしていかなければならない。ちゃんと切り替えなくちゃと思った。

 

いつまでも、過去の思い出に浸っていないで、そこから足をだして今の自分と向き合っていく。やりたいこと、夢に向かって何ができるか、自分はどうしたいのかを常に問い続けなければならない。

 

もちろん、思い出に浸るときは浸るし、あんなことあったねって言い合うのも好きだ。でも切り替えはちゃんとしなくちゃいけない。ほんとにそう思う。

 

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大学生は一人ぼっちになる時間が必要ダ

思ったんですけど、

大学生になってから、一人の時間をつくるって大事だなと。

 

高校時代は、みんなが同じ時間割で毎日おんなじ人たちと顔を合わせて、何をするにもいつもみんな一緒だった。行事ごともやりたくない人がいても、悪く言えばみんな強制参加で、やりたくない人は軽蔑な視線を受けたり、変わっている人というレッテルを張られた。もちろん一人でご飯を食べる人も少数派で、一人で食べていると「ぼっち」だと思われていた。

 

だからみんなグループで固まっていないと学校生活が心配になるし、みんないっしょ、それが当たり前だと思っていた。トイレ行くにも連れションとかね。

 

その生活を続けていたせいか、大学に入ってすぐのころは「ぼっち」になることをものすごく怖れていた。お昼ご飯を一緒に食べる人、サークルを一緒に見学に行く人、いっしょに授業を受ける人を必死で探していた。

 

いつも一緒にお昼を食べていた子が用事で今日は一緒に食べられないってなると、すごく焦ってどうしようどうしようとパニックだった。

 

ひとりでおにぎりを食べながらスマホをみて過ごした昼休みは苦しかった。周りの人にぼっちと思われていないか、もう友達ができないんじゃないかと思う気持ちを、スマホを見ることで紛らわした。

 

友達が一緒にいると安心するし、楽しい。

 

でもその反面、友達と「ずっと」一緒にいることで私たちが失っていくものは何か。

 

それは一人の時間である。言い換えると、好きなことをする時間ともいえるかもしれない。

 

自分は興味がないけど友達がとりたい授業を一緒に履修する。

90分の授業が週に1回。1ヵ月4回授業があると90×4=360分。ひと月に6時間の時間をかけていることになる。前期だけの履修だと、360×(約)4か月=1440時間。

 

自分が興味のない授業を、友達がとるから履修しようとするとこんなにも時間を使っている。本当にこの時間は自分のためになっているのか。興味のない講義に使っている時間を自分の好きなことや興味のあることにどれだけ使えるだろうか。

 

そして、私は今履修している授業がこれだけの時間をかける価値があるものを選んでいるのか。書きながら自分で自問自答してしまった。

 

 

さらにお昼の時間。「ぼっち」を怖れて、グループでいつも一緒にお昼を食べる。一人になるのがいやだから、群れる。話についていけず、話題もでずに、みんなついにはスマホをいじりだす。顔をスマホに向けたまま「じゃあね」と言う。

 

この時間を自分のために使うにはどうしたらいいか。

 

好きな人と同じ時間を過ごすのは楽しい。今いるグループでいるのが心から楽しいと思えていればそれでいいと思う。

 

ただ、一人になるのを怖れるがゆえに、自分の時間を削ってまで友達に合わせるのは、すごく時間がもったいない。

 

わたしは週に1回だが一人でご飯を食べる日がある。はじめはぼっちが気になって、友達に一緒にご飯を食べようとLINEしていたが、めんどくさくなった。

食べ終わった後は課題をやったり、本を読んだりして過ごしている。

はじめは寂しくも感じたけど、その時間は私が唯一一人になれる時間だ。

 

一人になれる時間を持っていると、やるべきことを早く済ませられるし、だれにも気を使うことも無い。

 

振り返ってみると、高校の受験期も、私は途中で友達と群れるのをやめて一人で休み時間に勉強をした。ご飯は友達と一緒だったが、食べ終わると自習室に行った。

 

大学に入ってから、一人で図書館に行って勉強したり、一人でご飯を食べたり、一人で美術館や映画館に行ったりした。

 

ひとりでいる時間に蓄えた知識や、自分と向き合う時間は、わたしを成長させてくれた。いつも一人ぼっちの時間が私を成長させたんだ。

 

大学生になると、時間もあるしお金を稼ぐこともできる。自由にできることも増える。(その分責任も増えるが)

でも、その時間、自由に使える時間を友達の行動に合わせると、ときに恐ろしいくらい時間を消費している。

 

高校時代は気が付かなかったが、友達と「ずっと」一緒は、ときに厄介である。

 

一人はときに寂しくなることもある。孤独の中、ここにいるのは自分しかいない。

孤独をみつめて、孤独と向き合う時間をもてる大学生活にしていきたい。