ザフトさんのブログだよ

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おじいちゃんに会いたい。

おじいちゃんに会いたい。会いたいよ~。もう会えないのは分かっているけど、会いたい。もう会えなくなって10年以上たつけど会いたい。もしおじいちゃんに会えたなら、ずっと一人で抱え込んでいるこの悲しみを、あの時のように優しく包み込んでほしい。

 

 

おじいちゃんとわたし

おじいちゃんは大正8年生まれ。少年兵として戦争に行き、シベリア満州に抑留されたのち、生きて帰ってきた。

わたしが1歳か2歳のころに、おばあちゃんが亡くなった。おばあちゃんの記憶はほとんどない。

おじいちゃんは、気づいたらいつもいっしょにいた。おじいちゃんと一緒にいたいちばん古い記憶は、保育園の年長のころだ。おじいちゃんはわたしが小学校2年生くらいの時にがんで亡くなった。87歳だった。

 

 

おじいちゃんとの思い出

おじいちゃんはわたしとは8年間のつきあいだった。私の記憶の中では4年くらいしかおじいちゃんは生きていない。でも、思い出はたくさんある。

 

ある日、急にいちごが食べたいと言い出したわたしをつれて、むかいの八百屋さんでいちごを買ってくれた。そのとき使っていたおじいちゃんの財布は布製でおもしろいかたちだったのを覚えている。

 

わたしが障子にゆびをはさんで痛くて泣いていたら、おじいちゃんは大慌てでわたしのゆびにツバをぬった。わたしはさらに泣いた。次の日になって障子をみてみると、ゆびをはさまないように障子とかべのあいだに木のブロックみたいなのが置いてあった。

 

わたしの家は、3階立ての家で、私が住んでいるのは3階、おじいちゃんの部屋は1階だった。ときどきおじいちゃんの部屋にいたことがある。おじいちゃんはわたしにリンゴをむいてくれたが、「いらない」と言ってたべなかった。リンゴは大好きだ。だけど、おじいちゃんの手が茶色くて、それが汚れているんだと勘違いしていて食べたくなかった。結局、おじいちゃんがひとりでたべた。

 

夕ご飯はおじいちゃんも3階に上がってきて一緒に食べていた。母親に怒られて、わたしが暗い部屋につれていかれると、いつもおじいちゃんが助けに来てくれた。ひとりで泣いているとおじいちゃんがきてくれて手をつないで一緒に戻った。でももう助けてくれたおじいちゃんはいない。

 

おじいちゃんの嫌だったところ

茶色い手。もともと色黒な肌ではなかったけど、手は茶色かった。小さいころはその手は汚れているのだと思ってさわりたくなかった。

外食に行く際に、手をつなぐのがいやで、わざと手にものを持ったこともある。おじいちゃんの手は茶色くてしわしわだった。

 

わたしが小学校にあがると、家に帰ってまず1階のおじいちゃんのインターホンをならす。そしておじいちゃんと一緒に3階へあがる。外階段をのぼるときに、おじいちゃんは疲れてぷ~ぷ~言う。そして口をならす。それを聞くのがいやで、毎回「しないで」って言ってた。

 

 

おじいちゃんがいなくなったとき

「おじいちゃん死んじゃった」とおばが言った。まさかと思った。

 

おじいちゃんが亡くなったとき、今まで体験したことがないくらいの衝撃と悲しみがわたしを襲った。

 

人の死。一度だけ病院にお見舞いに行った。横になっているおじいちゃんと握手した。次に病院に行ったのはおじいちゃんが亡くなった時だ。

 

家で危篤の連絡を受けて、急いでタクシーに乗った。だいじょうぶ。おじいちゃんは死なない。そんなことを思いつつも、どこかでおじいちゃんは死んでしまうのではないかと思っていた。危篤の意味を知ったのもこの時だった。

 

動かなくなったおじいちゃんをみて泣いた。こんなに泣いているのは自分だけだった。まわりをみると、みんな悲しそうな顔をしていた。でも涙を流しているのは自分だけだった。なんでみんな泣いていないのか理解できなかった。怒りさえも覚えた。

 

そのあとのことはあまり覚えてない。

 

 

おじいちゃんがいなくなったその後

おじいちゃんが亡くなってから、3日間くらいはずっと泣いていた。泣いて一日が終わった。

学校の授業中でも思い出してしまって涙がでるのを必死で我慢した。

 

家の前の信号で交通安全を見守ってくれるボランティアのおばさんに、「おじいちゃん最近見ないね」と言われた。いつも学校帰りにおじいちゃんと一緒にいたのを見ていたのだろう。

「しんじゃった」というので精一杯だった。これを聞いたおばさんはどう思ったんだろう。

 

おじいちゃんが病気だなんて全然知らなかった。ただおじいちゃんの誕生日を祝ったときに、目が黄色くなっていることに気づいた。黄疸だった。病院に行った方がいいよと強く言った。このときの自分は、すこし死というものを感じていたのかもしれない。怖かった。

 

おじいちゃんが亡くなってから、自宅にいったん帰して白装束を着せた。おじいちゃんの胸のあたりにドライアイスがあった。わたしもおじいちゃんに白装束の一部として、ゆびに白い輪っかをつけてあげた。でも動かなくなったおじいちゃんが怖かった。からだにふれると冷たくてびっくりした。氷のように冷たくなっていた。

 

火葬した際には、骨になったおじいちゃんがでてきた。このときはなぜか自然に受け入れられた。遺骨をはしでつかんで遺骨入れにいれた。でも火葬されたばかりでとても熱くてなかなか難しかった。

 

 

おじいちゃんに会いたい

おじいちゃんが夢にでてきたのは2回。亡くなってすぐと7回忌のときだけ。

 

おじいちゃんが亡くなる前に、母親に、「おれは旅に出てくる」といったらしい。この時にはもう死が近づいていることを感じていたのかもしれない。

 

おじいちゃんが亡くなってたくさんのことを後悔した。いらいらしておじいちゃんをたたいたり、つねったりしたこと。おじいちゃんの手を握らなかったこと。もっと優しくできたのに。なんで優しくしなかったのだろう。ものすごく後悔した。

 

友達に葬式に行ったことがない人がいるとうらやましく思うときがある。葬式は悲しいし、そのあとにある親戚との食事も好きではない。ただただ、悲しいだけだ。

 

それと口癖のように「しね」っていう人間も嫌いだ。なにかあるとすぐ「しね」、気に入らないことがあるとすぐ「しね」、ときには友達に冗談で「しね」という。そんな別に本気で言っているわけじゃないし、ノリでいうだけだ。そんな考えが理解できない。人の死はノリなんかじゃない。特に人に向かって言うのは本当に理解できない。おじいちゃんの死は、わたしに人の死について教えてくれた。

 

 

waiwaijw.hatenadiary.jp

 この記事をかいてからおじいちゃんのことを思い出した。家に帰ってから親とけんかして、風呂場でふいにおじいちゃんのことを思い出して涙がとまらなくなった。でもずっと泣き続けても、あのころみたいに助けに来てくれるおじいちゃんはもういないんだ。

 

おじいちゃんが亡くなってから10年以上たつ。ここ数年は、部活の合宿や受験勉強のために墓参りにも行ってない。ちゃんと行かなくちゃな。

 

おじいちゃん、元気ですか。わたしはぼちぼち元気でやってますよ。おじいちゃんに会いたいです。会えないのは分かっているけど、会いたいです。いつかまた、夢にでてきてください。では、お元気で。さようなら。

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