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ザフトさんのブログだよ

自分自身と向き合うためにブログやってます。

このエモい感情を吐き出させてくれ

ようやく大学も冬休みに入り、昨日は高校の友達数人と会ってきました。

今日、朝から勉強して疲れたと思って音楽聞いてたら、その歌詞がなんとも心にしみて、すごくエモい気持ちになってしまったので、ここで吐き出させてください。いろいろな気持ちがごちゃごちゃになってしまった。

 

吐き出すぞ(!)

 

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友達について。

Twitterやめたから、仲いい人も別に仲良くない人の情報も何も入ってこなくなった。

そのおかげで自分の時間が増えた。卒業してあっていない人や、SNSだけでつながっていた人などの印象は良い印象のまま、私の中でその人は終わっている。

逆にみんながどうしているのか、楽しくやっているのか少し気になる。小中時代の友達は気にならない。でも、高校時代の友達は仲がいい人が多かったから気になる。

卒業してまで気になってしまう自分はけっこう人好きみたいだ。

 

思えば、小中時代はつらいことが多くて嫌いだった。今でもいい思いはしない。ただ、9年間の間には楽しい思い出がなかったかと言えばうそになる。

でも、ほとんど思い出せない。思い出さないようにしているのかもしれない。いつの間にか嫌いな時間として私の中に封印されている。

 

高校時代は本当に楽しかった。でもつらいことも無かったかと言えばあるし、小中とはまた違ったつらさだった。でもそんなつらさにも蓋をして高校時代は「楽しかったもの」として私の中に残っている。

 

思い出はあとからいくらでも美化できる。逆に嫌な思い出だったと決めることも簡単だ。

 

おわりになってから、ほんとは楽しいこともあったはずなのに全てつらかった時代と決めつけていた。ほんとはつらいこともあったのに、全て楽しい時代と決めつけていた。

 

視野が狭いと思った。一つのことだけに視点を合わせて、それがあたかも全体であるかのように考えていたし、決めつけていた。もちろん、ほんとはあった楽しかったことやつらいことは、全体で見たら少ないことは確かだけれど。

 

 

それと、高校の友達がTwitterで、「大学をやめて1年間バイトでお金ためて専門学校に行く」ということをツイートしたらしい。そのことに対して他の友達がすごく非難(反対)していたのを隣で聞いていたんだけども。

 

私は正直、自由に生きればいいと思った。退学を決めるくらいだから、自分の人生に対して悩んで向き合ってきただろうし。友達が言う、「せっかく大学に入ったのに」や「専門はもっと拘束があるのに大学をやめてついていけるのか」とか「世の中そんなに甘くない」という意見には同意もある。

 

いまの大学生という身分で、社会のことなんてあまり分からないし、分からないものに対して恐怖もあるし。それに大学生特権を利用できるときにしたほうがいいんじゃないかと思った。(例えば図書館、学割とか)

 

でも、その子の人生は私には関係ない。こういうと、冷めて聞こえるかもしれないけれど逆にこの距離感が友達としての距離だと思う。

 

もし身内だったら、友達が言ったような心配や反対意見が出て当たり前だと思う。

でも、私は友達である以上、本人の人生だから本人の好きにしたらいいと思う。友達という立ち位置の場合、身内ほど深入りするつもりはない(というかできない)し、「なにかつらいこととか大変なこともあると思うけど頑張れよ」と応援したい。

 

 

そ、れ、と。

高校の友達と久々に会って別れるとき。なんだか急に、「今日で会えるのが最後かもしれない」と思ってみたら、すごく悲しくなってしまった。久々に会ったからかもしれないけど、別れ際はなんだか切なくなってしまった。

 

会っているあいだは、高校のときの雰囲気が懐かしくなって楽しかった。でも、楽しい時間も終わると、今度は同じ高校の時の気持ちではなくて、今、大学生としてのわたしとして過ごしていかなければならない。ちゃんと切り替えなくちゃと思った。

 

いつまでも、過去の思い出に浸っていないで、そこから足をだして今の自分と向き合っていく。やりたいこと、夢に向かって何ができるか、自分はどうしたいのかを常に問い続けなければならない。

 

もちろん、思い出に浸るときは浸るし、あんなことあったねって言い合うのも好きだ。でも切り替えはちゃんとしなくちゃいけない。ほんとにそう思う。

 

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