ザフトさんのブログだよ

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不登校だった友達が教えてくれたこと

中学時代、不登校の友達がいました。

名前は「ゆいか」(仮名)で、「ゆい」って呼んでました。

 

ゆいとは小学校1、2年生の時に同じクラスで、苗字が一文字ちがいでした。

頻繁に遊んだわけではないけれど、ゆいの家に遊びにも行ったことはあります。

 

同じ中学に進んだゆいと私は偶然にも同じバレー部に入りました。

一緒に活動していたのですが、だんだん部活に来なくなり、ゆいは途中で辞めてしまいました。

 

そして、学校にも来なくなりました。

なぜ来なくなったのかは分かりません。

 

中学3年になった私は、はじめてゆいと同じクラスになりました。

はじめは学校に来ていたゆいですが、保健室登校をしたり、学校にすら来なかったりと不安定でした。

 

学校から家の帰り道の途中にゆいの家があるので、3日に1回、一週間に1回など、不定期で学校の手紙などをポストに届けました。担任の先生は私に、申し訳ないけど助かるといった顔をしていました。ゆいのお母さんにも感謝されました。

たまに面倒だと感じることもあったし、学校来いよ~と思っていました。

 

 

クラスでは運動会の練習が始まりました。ここで問題が起きました。わたしとゆいは応援団に立候補していました。しかし、ゆいは不登校気味。女子のムカデ競争の練習にも、ダンスの練習にも、応援団の練習もほとんど参加できていません。

 

同じチームの子や、応援団の子のなかでは学校に来ないゆいに対してマイナスの感情を抱く人も少なくありませんでした。ずるい、サボってる、楽してる。そんなことを言う人もいました。

 

私や他の子が、「学校来てね」というメールを送っても返信がないときもありました。行くと返事が来ても、翌日来たり来なかったり。周りはイライラしていました。

 

このままずっと休んだままだと、本番に来ても何もわからない状況で、ゆい自身困ると思ったのでメールを送りました。

 

このメールは、いつも送っていたメールとは違います。

 

けっこう長めで、しかも厳しめの口調で書きました。

ゆいがいなくて困っているし、急に本番だけ来ても何も知らないとゆい自身困るし、何もできないでしょ?それで周りの人に何か言われるのはいやでしょ?

多分こんな感じの内容だったと思います。

これが私の本音です。と最後に付け加えて送りました。

 

すると、ゆいから返事がきました。

私が学校に行かないのは~だから。という内容だったと思います。ほとんど覚えていないんですが。でもはっきりと覚えているのは、ゆいの返事の最後に、

これが私の本音ですと書いてありました。

 

私はびっくりしました。いつものゆいの返事の雰囲気とはちがかったからです。

 

翌日、友達にメールのことを言ったら、なんだか納得していないような顔をしていました。たぶん返事が気に食わなかったのかもしれません。

 

時は過ぎて卒業式。ゆいは卒業式に来ました。ついでにクラスの打ち上げにも来ました。すごく元気そうで、今まで空白だった学校生活を埋めるかのように、一部のクラスの人としゃべっていました。やはり一部の人からは、今まで学校に来なかったのに打ち上げは来るのかよ。といった雰囲気がありました。

 

ゆいが私に教えてくれたのは、本音で話すことの大切さだと思います。もし、あの日私が本音をメールに書かなければ、ゆいの本当の気持ちを知ることはできませんでした。今考えると、ゆいには本音で話す友達という存在が、今までいなかったのかもしれません。

 

不登校」と聞くと、どんなイメージを思い浮かべますか。家に引きこもっているとか、学校をさぼっている、弱い。そう思う人もいるかもしれません。実際、私の中学時代の友達は、いい印象をもっていませんでした。

 

ひとたび学校に来れば「なんだ来れるんじゃん」と思われる。

 

しかし、また学校に来なくなると「前は来れたのに何で今日は来ないんだ?サボりか?いいよな、こっちは嫌々学校に行ってるのに休めて」と思われる。

 

学校に行かず、休日にショッピングセンターで学校の友達と会うと「なんだ?学校は来ないくせに、遊びには行くのかよ。嫌なことから逃げられていいよな」と思われる。

 

勇気を出して学校に来ても、はじめはみんな周りに集まってきて「おはよー!」と声をかける。でもみんな他にも仲のいい子がいるから、そっちに行っちゃって結局一人になって学校に行きたくなくなる。

 

 

いま改めて考えてみると、不登校の子には「学校に来なよ!」って言うことよりも、学校以外にも別の世界があるんだよ。別の居場所があるんだよ。ってことを教えてあげることだが必要だと思う。

 

学校に行けなくなった原因は、人それぞれだと思うけど、居場所があることを認識しているだけでも、ずいぶんちがうんじゃないかな。

 

学校でも居場所を感じなくて、家でも「学校へ行け」と言われて、外に行けば学校をサボっていると思われるなんて、いったいどこに行けばいいの?

 

私は、学校に行くことがすべてじゃないと思うんです。不登校になった人たちって、人生の早い段階で、誰もが経験するような壁に早くぶち当たった人じゃないかって思います。

 

例えば、勉強がつまらなくて何で勉強をするのかが分からず不登校になってしまった人。「勉強はしなくちゃいけない」「そんな甘ったれたこと言うな!」と怒るんじゃなくて、どうして勉強しなければならないのか、なぜ学校で勉強するのかを考える時間があってもいいんじゃないでしょうか。

 

人間関係で傷つき、悩んで不登校になってしまった人に、「これからそういうことはいっぱいあるから頑張りなさい」「たかがそれくらいで」とかいう前に。なぜ傷ついたのか、何か誤解しているところはあるのか、どうやったら改善できるのか、自分には何が必要かを考える時間を。傷ついた心をケアする時間を。

 

私は学校に行き続けたけれど、行きたくないときもあった。でも行かないといけないものだから、そういうものだから、周りがみんな行くから。そんな理由で、自分で何も考えず行ってた。辛く傷つき、死にたいと思っても我慢した。受験に2度も落ちて人生に絶望した。生きる意味を問うた。受験で燃え尽きて、何をすればいいのか、何のために生きているのか、分からなくなった。

 

でも、大学生になって時間ができた。なぜ勉強するのか、なぜ学校へいくのか、真剣に考えた。今まで閉じ込めたままだった傷を治し始めた。自分の心と向き合い、他人にかけてあげるのと同じだけ思いやりをかけた。

 

特に中学、高校なんかは受験や勉強、部活に友人関係で精一杯で、なかなか自分で考える時間はない。教室という狭い狭い監獄に閉じ込められて、校則でしばり付け、違反していないか疑われながら生きている。

 

世界が狭すぎる。知っている世界が。生きている世界が。だからなにか大変なことや、傷つくこと、将来にかかわることで壁にぶち当たる。それだけでどうしていいか分からなくなる。絶望する。

 

大人になると、人生でいろんなことを経験するから多少のことでくじけなくなる。でもその多少のことは、子どもたちにとって、初めて経験した人間にとっては大きなことだ。だから絶望してしまった人がそばにいたら支えてあげる。味方であるということを伝えてあげる。居場所があることを伝えてあげなくちゃいけない。もうすでに様々なことを経験しているんだから。

 

わたしはゆいを支えてあげられたのだろうか。当時は周り目と自分のことで精一杯だった。もし、身近に不登校の友達、そうでなくても悩んでいる友達がいたら、少しでも力になりたいと思う。

 

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